人間関係

人は世間の常識を当たり前だと思い込みます。そして自分の都合でより当たり前意識というものは刷り込まれていくものです。

会社だからこれをしてもらって当然、夫婦だから当然、上司部下なのだから当然、国民なのだから当然、親子だから当然、親友だから当然、兄弟だから当然と、お金を払っているのだから当然、等々、何でも当然かのように錯覚してしまうのです。

特により親しい間柄になると相互依存しますから余計に当たり前意識というものは根付いてしまうのです。しかしここに自我が優先される大きな落とし穴があるのです。

世間では、外側から観察した「当然」という名の常識があります。たとえば親子なのだからは当然、つまり親は子どもの面倒をみる責任と義務があり、子は親の面倒をみる責任と義務があると世間では常識としています。

しかしこれは当然だから親子なのではなく、実は「当たり前ではない」関係が存在しているのです。お互いにお互いを尊敬し感謝し、そして親子をさせていただける有難さを実感することではじめて親子に為っていくのです。

他にも上司部下でも同じです、これは当たり前ではなくお互いを尊重し尊敬し合い、感謝し助け合うことではじめて上司部下に為っていくのです。その絆を結び、深めて高めることで有難さを実感できるようになり、上司部下であることに感謝できるのです。もしこれを上司なのだから部下の世話をするのは当たり前、また部下の面倒をみるのが当たり前だと、それを常識だとしてみるとします。

すると、すぐに関係が崩れていきますしお互いが自分の都合を相手に押し付けるようになってしまいます。これではどちらかが我慢をしたり無理をしますから限度がきたら関係はまた崩れてしまいます。

畢竟、人間関係は「思いやり」ですから、どちらかの思いやりが足りていないと相手を傷つけてしまったり相手を苦しめてしまったりするのです。

人間関係の思いやりというのは、相手を思いやることで自分自身が如何にその存在に救わているのかを自覚することです。相手がいなければ周囲がいなければ今の自分は存在できていません。また過去の人たちがいなければ今の自分がないのです。

そういう様々な御蔭様の中で私たちは存在を活かされています。つまりは必要とし合っていきているのです。必要とする関係の中に感謝がありますから、大事なことは思いやりを忘れないようにしていくことだと思います。

人間関係を守るというのは、離れていても相手のことをいつも思いやっていることです。自分が大変だからと周りとのつながりを断絶しないことかもしれません。自らが大変な時こそ、周りの人たちへの感謝を忘れないことかもしれません。

私もつい色々と肩の荷が増えていくと自分のことを心配しすぎることがあります。そもそも自他を信じているのですから、自分のことよりも周囲を思いやれる強さと優しさを持ちたいと思います。

「思いやり」とは一つ一つのことに「心を入れる」ことです。

日々の実践に真心を籠めて、形骸化しないように魂と人格を磨いていきたいと思います。