当たり前の仕切り直し

日々に生活をしていると様々なご縁に出会います。

そのご縁は、不思議なもので人に出会うことで人は刺激され成長しあっていくのです。そういう一つ一つに導かれるご縁によって今の自分は存在しているともいえます。

あの時、あの出会いと別れがあったからこそ今の自分があるのです。そう思うとき、私たちの仕合せとは一体何のことだろうかと考えるのです。

人は当たり前であることの奇跡が当たり前になっていくことで当たり前が分からなくなっていくものです。よく考えてみると、太陽があり、四季があり、水があり、空気があり、食べ物があり、体があり、さらにはもっと目を凝らせば健康があり、家族があり、仲間があり、機会があり、仕事がありとありとあらゆるものに恵まれて自分があることに気づきます。

人は半分の幸せと半分の不幸があればどうしても不幸の方ばかりに目を向けます。もしくは半分の不足と半分の足があれば不足の方ばかりに愚痴をこぼしてしまうものです。しかしないものよりもあるものの中に当たり前ではない奇跡があるように思うのです。

失ったものを思うよりもそのことから得たものを、ないもの得ようと焦るよりも今あるものを探すことを見つめてみると如何に自分が偉大ないただきものとご縁に導かれて存在させていただいているのかを実感するのです。

人は当たり前ではなかったなと反省し感謝するとき、より当たり前ではないものに目が向くのかもしれません。ないものばかりを嘆くより、あるものを大切にしていく生き方が当たり前にせずに仕合せに暮らしていく働き方なのかもしれません。

「餡を増やそう」と私利私欲を優先しないとやっていますが、色々なことが起き、もっと優しい心や配慮をかけてあげられなかったかと反省すると私自身この当たり前の仕切り直しをしたい気持ちです。

どんな体験も当たり前ではない一期一会のご縁なのですから、すべては有難きと丸ごと受けさせていただき、そこで失ったものよりもそのことでいただいたことの方へと心を転じていつもご縁の素晴らしさに感謝していけるよう「日々の自己一心」の研鑽と訓練を続けていきたいと思います。

心はご縁により無限無垢に生長し広がりつづけます。

自分の体験は必ず誰かの役に立つのだから、精いっぱいに道を歩み無邪気な子どもが自然にあらゆることができるようになるように自分もまたそうありたいと思います。