遊び心~画一ではなく個性尊重を大事にするということ~

今の日本社会や組織の問題を見つめていると、画一化という教育とは何かというのが観えてきました。ほとんどの場所では、同じことを周りと同じように平均的に行うことが良いと教えられ、それを目標に刷り込まれてしまうと他とは異なるということをあまり良いことだと思わなくなります。

周りと同じであるかというのが平均ということで、その反対が独創というものです。

人と異なることを行うにはユーモアが必要です。これを日本語では遊び心というように思います。そしてユニークな個性が必要です。これを日本語では自分らしさというように思います。

日本人はもともと独創性をあまり重視せず真面目に周りと合わせていく中で困難を乗り越えようとしてしまいます。これがマジメすぎてアソビを失う原因ではないかと最近感じるのです。

以前、オランダに訪問した際、ある子ども主体の教育のコンサルティング会社の代表者より私が大変ユニークだと褒めてもらったことがあります。人と異なることを行い、それを愉しんでいるからという理由だったのかもしれません。そしてそれが我々が目指す子ども像だとも付け加えられました。

人と異なることをしないというのは画一化ということです。それはみんなを正解に従ってその答えになるようにコピーしていくということでもあります。そうやってコピーされていたら、マジメにやれるようにはなってもふざけたことはしなくなってしまいます。

特にふざけたことをすれば常識外れだと罵られたり、変人だと蔑まれたりしていればそのうち誰もそういうことをしない方がいいと思うようになっていきます。

しかし本来、一人一人の人生は別物であり同じことはありません。他人の人生は参考になったとしても同じ人生など歩めることもありません。だからこそ自分は自分なりに独創性をもって事に挑み、新たな道を常に切り開き続けていかなければなりません。

その時の正念場は、周りと同じことをしないということです。

そのためには、きっとこれで合っているといった固定概念に縛られないことだと思います。常に新しい発見と発明を繰り返しては、それを試行錯誤する。その中でユニークさもユーモアも磨かれていくように思います。

硬直した組織は必ず遊び心を失っていますし、硬化した人間関係も同様に遊び心が亡くなっています。

世紀の大発見も、時代を揺るがす大発明もすべては遊び心から産まれるものです。それはもっとも自分らしい姿から誘発されるものです。マジメでもフマジメでもなく、遊び心満載のふざけた生き方が硬直硬化した自分自身を解放してくれると思います。マジメそうにしてサボっていることの方がフマジメだと思いますから、いい加減にみえても本気であることの方が自分らしいと私は思います。

大人になるというのはサボらないこと、そして周りをコピーすることだというのはあまりにも虚しいものです。いつまでも子ども心を大切に一度きりの人生なのだからもっと遊んで愉快に道楽を歩んでほしいと思います。子どもたちにはいつもいつまでも愉快痛快に個性尊重し生きる自分の背中をみせていきたいと思います。