顕彰の証

陰ながら善行を積み上げてくことを陰徳といいます。

顕彰という言葉がありますが、あれはその人の陰ながらの功績や善行、真心を忘れないという意味で使われます。彰という字は、明らかになるという字で、同じく顕という字もはっきりと明らかになるという意味です。

これは何が明らかになるのかといえば、目には見えないけれど偉大な恩徳が明らかになっているという意味です。

吉田松陰は、自分が正しいと信じて実地実行するのならば誰が分かってもらえなくても後の世に同じ聖人の道を志すものたちがいつかは自分のことを分かってくれるから気にせずに突き進めと弟子たちや自分を叱咤し善行を積むことを優先した人物でした。

それは留魂録にも、生死を度外視というものの中に確かな徳を積むことの価値を述べています。そしてそれはやはり死して彰かになっているものであり、後の世の志士たちに顕かにされていくのです。

表彰というものは、その陰徳を顕かにしていくものです。

その人が自分が信じた正しい道を踏み固めるとき、誰がわかってくれなくてもどんなに評価してもらえなくても、それを観ているものがあることを全体に伝えること。決して目立たなくても、決して覚えてもらえなくても、その人が積み上げたことが後の世に偉大な功績を遺したことをはっきりと明らかにすることが社會をよりよくしていくことにもなるのです。

今の時代は、表彰というとすぐに人を操作したりとか動かすためにとかいいます。しかし本来はそういうものではありません。

祖先や古人たちは、善いことがいつも観えていました。心が澄み善行や陰徳を常に観える目がありました。だから人が陰ながらやっているのを察して讃えて、常にそういうものを見つけよう、そういうものを育てて守っていこうとする真心や思いやりがありました。

今ではそういう陰徳を観ようとはせずに、見た目や結果がよかったものだけを褒め称え、その陰で目立たずに地味に世の中のことを憂い、平和な社會のためにと徳を積む人たちに気づかなくなってきました。

昔、「木を植える男」という絵本を読んだことがあります。その絵本にはある荒れ果てた村を、一人の男が生涯を懸けてどんぐりの種を植え続けて後世にその村が豊かな森林や水に溢れ、たくさんの家族が移り住み幸せに平和に暮らす村になった話です。

あの絵本にも、表彰や顕彰という意味が籠められています。

そういうことを忘れてしまう組織や社會というものの中に欲や悪行を蔓延らせる何かが潜んでいる気が私にはします。

これから考えようとしてしている私たちの顕彰の仕組みは、子どもたちにそういう陰徳を忘れてほしくないという祈りと願い、そしてそういうものを私たち大人が何よりも大切にしていきたいという覚悟です。

出会いはいつも私に有難い贈り物をいただけます、ご縁こそが御蔭様でありそれが顕彰の証ですからしっかりと受け止めていきたいと思います。