本来の子育て観~風土と薫育~

本来、国々にはその国々の子育て観というものがあります。明治維新以降、教育ががらりと変化してかつての教育とは一線を画してしまいましたが1600年~1800代の頃の江戸の子育てを調べていると私たち日本人の子育て観の根がどのようなものであったのかを理解することができます。

かつてロシアの海軍士官ゴローニン(1776~1831)は、日本を「子育て上手の先進国」として賞賛しました。

また平戸商館長を務めたフランソア・カロン(1600~1673)はその著書(大日本王国志)の19章の中で下記のように日本の子育てについて記しています。

『日本人は、子どもを注意深く、かつ優しく育てる。たとえ一晩中やかましく泣き叫んでも、ぶったりすることはほとんどない。辛抱と優しさをもってなだめ、悪口を言ったりしない。子どもの理解力はまだ発達しておらず、理解力は習慣や年齢を重ねることにより生まれるので、優しさとよい教育によって導かねばならないと日本人は考えている。7歳から12歳の子どもたちは、驚くほど賢くかつ温和であり、彼らの知識・言語・応対は老人のように成熟し、オランダではほとんど見られないほどである。丈夫に成長していても7歳から9歳までの子どもたちは学校に行かない。この年齢では就学してはならないとされ、彼らは遊び友達の集団に入り、勉強の代わりに元気いっぱい遊ぶ。学校へ行く年齢に達すると徐々に読書を始めるが、決して強制ではなく、習字も楽しんで習い、無理にさせられてはいない。常に名誉欲をもたせ、他に勝るよう励ます。短時間に多くを学ぶことにより、本人や一族の名誉を高めたほかの子どもの例を示す方法により、子どもたちは厳しい苦痛による方法よりも、さらに多くのことを学ぶいう』(大日本文明協会編『欧米人の日本観』より抜粋)。

欧米人のそのころの教育とは子どもを鞭打つことであり、文明が栄える先進国の教育とはそのようなものだという思い込みがある中、読み書きができ高い判断力を持ち文明が進んでいる国々の中で子どもを鞭うつ以外の教育でこのように発展している国は見たことはないと讃嘆しています。

周囲の大人がどのような姿を子どもに見せていたか、そしてその大人たちの生き方が子どもたちにどのように影響を与えていたのかが想像できます。子どものお手本人なる大人たちの道徳観が子どもに薫育していたのでしょう。

この徳をもって育てるという風土と文化が二宮尊徳をはじめ、その後に活躍する偉人たちを育んだのではないかと私は思います。

また最後に1775年から一年間在日したスウェーデンの植物学者であり医師でもあったカール・ペーテル・ツンベルクは見聞したことを述べています。

「日本人が其児童を教育するの状は賞賛にせり」と、日本の児童教育を絶賛している。彼は、手習所の教育方法について、師匠が生徒に歴史上の人物の偉業を歌にして教え、生徒が成長すると日ごろ目にする善行を奨励する。彼らは決して生徒を鞭打つようなことはせず、ヨーロッパのような過酷な罰は与えない。公立の学校(手習所)でも読み書きを教える。たびたび学校を見学したが、生徒は騒がしく、ツンベルクらを追いかけ、オランダオオメ(「青目」か〔注・大石〕)と叫んだという。」「欧米人の日本観」(大日本文明協会より)

自由闊達な校風の中で、御互いの善いものを引き出しているのも想像できます。以前、私がオランダの教育を視察しコンサルティング会社の経営者と話をし講演を拝聴していた時に観た一枚の写真に衝撃を受けました。

それは寺小屋の白黒写真でしたが、如何にそのモデルをヨーロッパが参考にしているのかを実感しました。今の日本は自分たちの子育て観はなおざりにして西洋のものが良いと信じて取りいれていますがまず自分たちがどのような子育て観を持っているのかを考え直してその根を確かめることが先ではないかと私は思うのです。

今の自分をどのように先祖たちは育ててくださったのか、その恩徳を偲びその伝承された祈りに報いることで自分たちの使命もまた再確認できるように思います。大事なことは知ろうとはせずに何でも取り入れるような根無し草のような学び方をしないように慎重に丁寧に学び直していきたいと思います。