和の精神~引受ける生き方~

人は自分の都合を優先し外側を抑え込もうとする生き方と、自分の都合を抑え込み内側を調和さえていく生き方があるように思います。人間はみんな自分勝手です。言い換えれば本来、すべての生きものは自分勝手で生きています。それぞれに欲があり、自分の思い通りにしようとするのです。

しかし自然界では、それをすることで大事なものを見失うことを本能で自覚するからあえて自分の欲を抑え込み周囲との調和を優先します。それを乱せば天敵が顕われ自然に調和する方向へと導かれます。

天敵は調和しなくなる方であり、天敵を抑え込むためには自然に逆らったものをたくさん用意しては対抗していかなければなりません。そもそも調和しないという選択が対抗ですから、不和でも自分の都合を優先すると押し切ってきたのが人間の欲望なのかもしれません。

日本では和の精神といって、そもそも調和していることを何よりも尊びました。それは調和が良いとか悪いとかではなく、調和が愉しいからにほかなりません。

自然農をはじめ、子ども第一主義の経営にいたるまで、自分の都合はほとんど優先できません。優先しても思った通りにはならず、そのための農薬も肥料も使えず、また世間の管理術も通用しないのですから実際は己との闘いのみを永遠と繰り返すだけです。

しかし一つ己に克ては一つの発見があり、一つ己に克てば一つの和が産まれるのです。

和の精神というものは、本来は和を産むことです。そしてそれを人間に当てはめれば克己復礼を実践することです。自分の都合も入れさせていただくのだから、周りの都合のことも配慮していく、周りの都合も叶うように如何に自分を使用していくか、そこに調和の愉しさを見出してこそ地球で暮らす仲間と一緒に活きる生き方を選んだことのように思います。

地球に暮らしながら地球の生きものを抑え込みながらいつまでも自分たちの都合を他の生きものに押し付けるのか、それとも他の生きものを受け容れながら他の生きものたちと一緒に引き受けるのか。

これは責任と置き換えてもいいかもしれません。

自分たちの責任を次世代に押し付ける生き方か、それとも自分たちの責任として引き受ける生き方か、祖神たちは常にその時代時代の調和をめざし取り組むことで子々孫々の繁栄を祈りここまでいのちをつないできたはずですから恥じないように本来の姿を求めていきたいと思います。