視野の道楽

視野には広さがあると昨日書きましたが、視野には深さというものもあります。「見渡して観直す」というのは、視野の広さと深さのことです。

視野の深さとは何か、それは文字や言葉では決して表現できない奥深い世界があるということです。人の話を聴くとき、その話を頭だけで理解する人とその人の背景に大変な奥深い悟りがあると聴くのではその言葉の意味もまったく異なって聞えるものです。

真に実践を積み上げ、あらゆることを自分のことと思って受け止めそれを自らの体験によって自学自悟し自明した理を持つ人はその思想が偉大な深遠と深淵に到達しています。

その人の表情や言葉の節々には、決して言い表すことができない暗黙智慧の世界観が存在し、物事が明鏡止水のように透徹して観えているのです。その世界は、光、水、宇宙、星、土、火や木、あらゆる精霊やあらゆる循環が感得できる鑑識もあるのです。

そういう人に触れるとき、自分の世界観だけで理解しようとするのは不可能なのです。自分のちっぽけな価値観を超えて、その人の世界観に近づこうとすることで人はみんな自分の実力を伸ばしていくことができます。学校で単に先生に教えてもらってきたような今までの学び方ではなく、師に弟子入りするような教えられ方を学ばなければその境地の片鱗にも触れることはありません。

それが最初に道を知り視野を持つ最初の入口です、その後はその師の持つ深遠や奥深さに自分から辿りつこうと一心同体になり真摯に精進していくことで次第にその世界を垣間見てさらにその世界を一緒に体験し語り合い学び合うことができるように思うのです。

つまりほとんどすべてのことは外側の教科書では一切学べないということはここからもわかるように、学問は入口周辺で満足するようなものではなくその奥のさらに奥の方にこそその真の妙味があるということです。

このような鏡花水月の世界は、自分と世界の垣根を取り払うことで観えてきます。

今の時代は深さを自分のものにできず浅く狭い自分だけの世界で世界を見ていることが増えているように思います。情報過多で考えたくなくなってきているのかもしれませんし、何事にも受け身であれば次第に入ってくる情報だけで生きていけるからわざわざ深めることをしなくなったのかもしれません。言われたことをやるだけで上手くいった方が簡単便利ですがそれでは道があることもわかりません。道に入って道に入らずという人もあるように、身近にテレビや本や知識が横行することで余計に本来の道の歩くという行為を失っているのかもしれません。

どんな世界にも道があり、同じように私たちの会社にも道があります。

その道を極めんとひとたび決心したら、師弟や仲間とともに妥協なく飽くなき探求心で問題を深め洞察を高めそのものの道の実践を積み上げていくしかありません。ほとんどのことは自分が思っているほど浅くはありませんから、自分の人生の質量と密度を高めて全身全霊で一期一会の日々を積み上げていく視野を持つことが大切なように思います。

どんな日々からもどんな気付きからも自分の知っている知識よりも壮大無限に知らない智慧があることに感謝して、視野の道楽を愉しんでいきたいと思います。