真似

弟子が師を追いかけるのに真似をするというのがあります。自分が分からないうちは、一生懸命に真似をして追い付くのです。ここには大切な教えがあるように思います。

昨今、良いところどりだけをするという人たちがたくさんいます。自分にとってここが良いとそこだけを取り上げるのですが、それではその人の狭い価値観の中で単に良いと思っているところしか見得ていないことがほとんどです。

本来、尊敬するところや達人の人は表面上に現れている良いところとは別にその深層には膨大な背景や思想や実践が積み上がったものを持っています。つまり簡単にはわからない深みに到達しているのです。それをもし自分が習得するには、それを単に取り入れるのではなくその人の実践を丸ごと信じて真似をしていく中で気づいていくしかありません。

単に良いところだけを見てそれを取り入れるというのは、分かった気になっているだけでそこに良い悪いを判断しかえって疑ってしまうから「良いところだけ」になってしまうのかもしれません。

疑ってしまっていてはその良し悪しも決して観えることはありません。師のことや尊敬する人のやっていることややってきたことを丸ごと信じているから丸ごと真似をしようと志すのです。つまりは丸ごと信じているから真似ができるのです。

プライドというものは、自分にできてあの人にはできないから持つのではなく、真のプライドはその人の中に真似をしたいといった心に憧れを持ちそのご縁に感謝しつつ素直に学ぶことができてはじめて持てるのでしょう。

そしてその師弟の絆の中に師資相承や卒啄同時のように昔からある日本の職人文化があるということです。誠に学ぶというのは、単に知識だけを取捨選択するのではなく生き方を真似び「絆を結ぶ」ことと同じことなのです。

その絆の中にこそ、「真似」ができたという真実がありますから学ぶ人は真摯に師のことを丸ごと信じて取り組むことが大切だと思います。現在、見守る保育を広げていく中ですぐに話をするとちょっと見ただけで良いところどりだけをしてコピーをしてはその後は評論する人たちがいますがそれでは本質までは伝えることができません。

真似とは、真になるまで似せるほどにそのものと自他一体、自他同一に学ぶことではじめてできる境地なのです。

自分自身が真似をしてきて掴んだ智慧を分かりやすくし、同じように師からいただいたものを還元していけるように真心で実力を磨いていきたいと思います。