自由に楽しく~やりきる~

昨日、自由の森学園の音楽祭に参加することができました。

子どもたちによって企画され運営される音楽祭は、「楽しむ」をテーマに沢山の「有志」といったグループが構成され、それぞれに演舞や音楽を表現していきます。日頃の部活動の延長になっていることや、学校の文化を実感できるもので子どもたちのパワーに圧倒され青春をする様子に暖かな気持ちになりました。

その音楽祭のレジメの最初のページには実行委員長のお言葉として「オッシャー!!音楽祭だぜ!!今を楽しむことに集中すること、楽しむことに全力をそそぐこと、楽しめていないヤツは今すぐ楽しむこと、分かった?よし、いい子、それじゃぁね。」と書かれています。

初日はサンバにはじまり、27グループの有志がそれぞれに自分たちの企画で出演していました。話を聴くと、50以上のグループの中から予選で選ばれて出てくるそうでみんな自信をもって取り組んでいるのが伝わってきました。

学校運営といっても、大人の理想と建前を使い分けている学校が多い中、ありのままに見せてくれて安心して取り組んでいる子どもたちをみていたら可能性というものは自由の中にあることを改めて実感します。

一人ひとりの主体性という言葉も、自由を伴う言葉です。学校側が何かしてくれることを期待するのではなく、自分たちで運営をしていこうとする子どもの姿に主体的に取り組む意義を実感しました。

アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディにとても有名な言葉が遺っています。

「Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.」(国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。)

そもそも学校に自分は何をしに行くのか、学校に来て何をするのか、それを自ら明確にしていくのも刷り込みを取り除くには必要だと思います。学校には理念が必要です。そしてそれは会社でも同じです、会社にも自分は何をしにいくのか、会社で仕事をすることで自分は一体何をしたいのかということを自覚していなければなりません。

会社に理念があるのはそもそもの目的があり、どれだけそこに自分自身が主体的に参画しているかということが問われるからです。誰かに何かをしてもらうことばかりを求めて国家にすがり、社會にすがり、組織にすがっていたら、いつも与える側と貰う側という二つに分かれてしまいます。その時点で、人間社會は仕合せにはならず自由もまた喪失してしまうのです。

お互いに活かしあう社會というものは、一つの理念のもとに共に運営に携わるということでしょう。この自由の森学園に共感するのは、理念が学校運営に具体的実践として顕現しているところです。

引き続きJ・F・ケネディに「Liberty without learning is always in peril; learning without liberty is always in vain.」(学問を伴わぬ自由は危険であり、自由を伴わぬ学問は空虚である。)があります。

私なりの解釈では理念を実践しない自由など危険そのものであり、実践も自由もない学問など意味がないということでしょう。自分が素直でオープンで本当の自分自身であるかどうか、世界の中の一人として社會で自由かどうかが自分が「生きている実感」のことでしょう。

私も常に自分の生き方が誰かのためになる、自分の人生が世界の役に立っている、自分の実践が世界を変えると信じています。今ある数々の実践のすべてはそのためです。

世界の中で自分という主体が、どれだけ世界の一部として貢献するか、そこには感謝があり謙虚な生き方があります。自由とはそういうものをすべて丸ごと含んでいる言葉なのでしょう。自ずから由るべきは自分なのです。他人に支配された方が楽かもしれませんが、それではいつまでも人生は誰かのものになってしまいます。自分で決めた人生、自分の本気の人生、誰かのモノサシに従ってばかりではなく自分で納得していく人生こそが真の自由です。

そういう体験を子どもたちにさせているということの価値を再認識しました。今年30周年を迎えるそうですが、創業者の理念は継承され人間とは何か、人格とは何か、人の仕合せを重んじている校風に私たちの会社の理念に共通するものを実感しました。

私たちにも理念がはっきりあるのだから安心して子どもたちが憧れる生き方を大人の手本になるように、あの子どもたちの青春する姿のように「自由に楽しく=やりきっていきたい」と思います。