親祖の実践

昨日は今上天皇の81歳の誕生日でした。

日本国民の親祖であり、いついかなる時も家族同様に私たちの生活を日々に祈り大切に見守ってくださっている存在です。私たちは歴史を学ばなくなり、天皇陛下のことを誤解している人も増えてきました。

あまり身近に語られることもなく、むしろマスコミやニュースからは差しさわりのない内容やもしくは他国の権威を比較されて紹介されたりと自分たちの歴史を学んでいないからその価値を正しく認識することができなくなっています。

日本には神話があり、神話こそその国のはじまりを示すものです。その神話に触れる機会もなくなっているのだから、一体何を子どもに教育しているのだろうかと疑問に思う事ばかりです。親を慕うのは子にとって当たり前のことですが、その親を慕うと周りが過剰反応をして避けられたりします。もっと自分の国のことを自分自身で考えなければなりません、そのための責任なのです。

本来、民族というものはその創始理念を確認することで何を「一」に由るのかということを自分以上の存在を持つことで忘れないで自分の使命に気づき全うすることができるものです。それを気づかないように刷り込めば、自分への誇りや自信も生まれてきません。民族を怠惰に堕落するのは、その志や使命を持たないようにしていくことですから何よりも優先してきたものを証明する天皇陛下の存在は本当に有難いことと思います。

私たちに先祖から今の親がいるように、その祖先からのいのちや生き方が今の私たちに受け継がれ連綿と続いて残ってることを誠に有難いと思うように、天皇陛下が存在してくださることは何よりも有難いことだと思います。親がいるという安心感は何物にも代えがたいものです。

その天皇陛下の誕生日のお言葉にまた感じ入ることがあり、改めてかんながらの道を学び直した気持ちです。

「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常によりよい日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、のちに来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています。」

のちに来る時代への責任という強い言葉に気持ちが引き締まります。その上で、昭和天皇から学んだお話もありました。

「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています。」

義務と責任とは、自分で決心し責任を持つということで誰かのせいにはしないという覚悟のようなものです。一人一人の生き方として、自分の周りのところで義務を甘受し責任を果たしなさいというメッセージを受け取りました。

言葉や表情は本当に和やかで優しく徳に溢れた姿ですが、その真心はとても透徹なものを感じます。何よりも実践のモデルを示してくださる祖神様と照らし合わせ日々の実践を高めていきたいと思います。

御健康で長生きしてくださることだけをお祈りして、見守りに深く感謝いたします。