国際言語~和洋言語~

以前、オランダに訪問しミマモリングソフトの説明をつくるとき言語化することの重要性を感じたことがあります。

私たち日本人同士では通じる暗黙知は西洋では言語化しなければ伝わらないものです。例えば、虫が鳴くことがノイズであるという言語しかない言語圏では煩い対象でしかありません。しかし私たち日本人は虫の鳴き声に心地よく感じ、蝉などが一斉に鳴く様相には蝉しぐれと呼んで情緒を味わいます。西洋からすれば、日本はあんなに蝉が多いところに住まないといけないことに同情し、大変気の毒な人々だというイメージすらあるそうです。

そもそも私たち人類は、世界を移動し分かれて行く際に言語を分けました。どの言語圏でいるかというのは、どの文化圏にいるかと同義です。だからこそ同じ言語を持つことで相手の文化と融和していくことができます。

以前、分子生物学者の村上和雄さんが「サムシンググレート」という言葉で「大自然の偉大なる力、その偉大なる何者か」と直訳されたのを聴きました。遺伝子を探究していく中でどうしても説明がつかない存在に気づいたというお話だったように思います。しかしこの言葉ですら、日本人の私たちはよく伝わりますが西洋の自然科学ではこの言葉は逸脱していると言われているようです。

本来、一つ一つの暗黙知というものは、職人気質の中で育まれるものです。師弟が一心同体になって学び合うとき、言葉にはならない微細で微妙なものまで伝承伝授されていきます。そういう部分は言語化できないものが多く、語られず実践し合う中で一心同体に掴み取ります。しかし西洋ではこの言語化されていないものは、認められず、真理はすべて言語化できるところで語らなければ相手にされないのです。

今は西洋や東洋が分かれている時代です、それぞれが違いばかりを唱えては争いは尽きません。あらゆる言語を調和する、和洋のちからが必要ではないかと私は痛感しています。それには私たち日本人が自分の言語を磨き持たなければならないように思います。

今まで島国であった私たちは一つの言語で生きてきましたが、これから国際人の一人として様々な言語圏の人たちと語り合っていきます。その時に、どんな言葉で語るのかが重要になってくるのです。違いを超えて語り合うには、言語的自我を如何に持つかということです。

こういう日々の綴りであっても、自分の言葉を必死に磨いていくことでいつか世界と心を分かち合っていくことにつながると信じています。言葉というものは諸刃の剣ですから、言語化することは真理の矛盾との正対ばかりですが引き続き日々の言語を磨き続けて国際言語(和洋言語)を育てていきたいと思います。