自他の尊重~聴く真価~

ブログで何回か聴くということについて書いていますが、改めて聴くことの大切な意味を感じます。人は人の話が聴けなくなるとき、その身が亡ぶと言われます。それはなぜかということです。

諺に「聞くは一時の恥、聴かぬは一生の恥」があります。

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とは、知らないことは積極的に質問するべきだという教えです。つまり知らないことを人に聞くのは、そのときは恥ずかしいと思っても、聞かなければ一生知らぬまま過ごすことになるので、そのほうが恥ずかしい。知らないことを恥ずかしがったり知ったかぶったりせずに、素直に聞いて学ぶべきだという教えということです。」(故事ことわざ辞典より)

人は自分というものがありますから、自分の中でだけで物事を整理していたらそのうち現実からズレてしまうものです。それは人間には自我感情がありますから次第に感情の影響を受けては現実が捻じ曲げられてしまうのです。いくら物事をあるがままにありのままにみていると本人が思っていても、実際は自分の感情が入り込んでいる現実ですから様々な執着がこびりついてしまうのです。

そういう時、優れたリーダーというものは必ず自分に意見するものを近くに置くものです。松下幸之助さんはこういう言葉を遺しています。

「よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。私は学問のある他人が全部、私より良く見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようと努めました。」

人が話を聞けなくなるというのは、聴きたくないからです。周りの人たちの話を聴くというのは、自分の間違いに気づかなくてはなりません。それは単に間違いに気づけばいいのではなく、真の間違いに気づくということです。

人は分からないことを分かっていたら改善することはできません。自分が分からないことがあると気付いているからこそはじめて分からないことを知るのです。分からない部分が自分の改善点ですが、分からないことを知ろうとしないから改善することがなくなるのです。

人は大なり小なり必ず小さなズレが現実の間で発生します。いくら正論を語り正しい法則を知り尽くしていたにせよ、自然に必ず矛盾は発生します。その矛盾は沢山の人たちの意見に耳を傾けることで矛盾を内包できるようになり絶妙な判断をしていくことができるのです。

自分だけの判断が絶対だと我儘になれば、無理やりに真実を捻じ曲げて上手くいったように錯覚するようになります。その時、その身が亡ぶように思います。周りの人からの意見に耳を傾けることを「衆知を集める」といいます。これは言い換えれば「叡智を結集する」という意味と同義です。

自分一人だけで正解探しをするよりも、もっと信頼できる人たちと一緒に矛盾の中にある真心探しをしていく方が人生はより豊かで楽しいように思います。手段と目的を見失うことがないように、自ら省みて自他を尊重して聴く訓練を積み重ねていきたいと思います。