試行錯誤~楽しみを湧き出す~

自然農の田んぼではありとあらゆるものを毎年チャレンジしています。作物も毎年同じものを同じ場所でやることもあれば、異なる環境でやってみることもあります。水はけや日当たり、また他の草草や虫たちの繁殖の状況、今年の天候の様子や土のかおりや植え方、育て方など毎回少しずつ試行錯誤しています。そうして試行錯誤した後は、振り返り内省するのです。このやってみては振り返り、観察しては改善できる、この面白さは遊びそのものです。これは別に田んぼや畑だけをやっているのではなく、仕事でも同じように私は試行錯誤と内省をするのでよく周りから”楽しそう”と言われることが多くあります。

しかしその分、試行錯誤をしている最中は他人から誤解されることも多くあります。目標はどこにあるのかや、ポリシーがないのではないかや、ふざけ過ぎではないかなどです。その時は、周りも心配してくれてそのままではダメだと私に修正を求めてきます。もちろんダメなのかもしれないけれど試行錯誤したいのだと説明しては放り投げたりせず必ず実現させるからと伝え時間が解決するのを待っています。

この試行錯誤とは何かということです。

試行錯誤を辞書で調べると(新しい物事をするとき、試みと失敗を繰り返しながら次第に見通しを立てて、解決策や適切な方法を見いだしていくこと。)とあります。しかし私にはもっと本質的な意味が試行錯誤そのものに隠れているように思います。

それは子どもの時の可能性、つまりはアイデアや発明につながっている遊び心や余裕、好奇心を発揮させるものがあるということです。

例えば、仕事でも目標や計画通りに進めようとする人がいます。もちろん、結果と目標があってその通りにいけば自ずから求めたものは手に入ります、つまり正解を求めて正解したのです。しかしそのやり方が果たして面白いかといえば私には面白く感じず敢えて様々なことに挑戦しながら辿りつく方が楽しいと感じるのです。教科書通りに教科書をなぞって出す答えではなく、試行錯誤こそが答えだという信念通りに進む答えです。

実際の人生も同じように、計画通りではないけれどいつも計画以上のことが発生するのは様々なことを試行錯誤しているのを已まないからです。この試行錯誤という考え方は、「この方法もやってみよう、この方法も試してみよう、あの方法ではどうだろう」といつも心が夢中にワクワクドキドキとそのものへの取り組みを心底楽しんでいる状態です。もはや四六時中同じことを考えては、もっとああしてみたらどうか、もっとこうしてみたらどうかと試したいことてんこ盛りです。

実際に先ほどの自然農でも実際は苦労の方が多く、肉体的にも精神的にも過剰なエネルギーを使っています。しかし、それをもし結果のためにただ決められた通りにやるだけならこれは続かないように思います。自然農を楽しめるのは、自然から学び観察をし、それを実践する中で上手くいかないことが多いからこそ面白いのです。

他人からは趣味だから楽しいと言われることがありますがこれは趣味だから楽しいはずはありません。何を取り組むことでさえ、試行錯誤できるから楽しくなっていくのです。つまりは趣味にしてしまうほど試行錯誤をしたのです。特にきつい仕事や大変だと思えるからこそ、自分の好奇心が枯れないように様々なことを試してみてはちょっとずつ変えてみて挑戦しているうちに次第に楽しい心が湧きでてきて趣味になるのです。

試行錯誤というのは、子どもの遊びに似ています。目標ばかりを押し付けられ、計画通りにいくことがもっとも正しいと刷り込まれると「もっとこうしてみよう」という楽しむ発想が消えていくように思います。厳しいプレッシャーの中で、正確無比にやっていこうとし過ぎては楽しくない日々でも無理に納得している人もいます。しかしそれがかえって生産性が落ちてアイデアが失われ、無機質に作業に没頭しているではかえって効率も効果も下がるかもしれません。

同じ遣るのなら、同じやらないといけないことなら、どうせなら思い切って試行錯誤を楽しもうと転換して取り組むことで子どものように遊び心や余裕、試行錯誤を味わえるように思います。

子どもは夢中で遊びこむ中で人生の大切な智慧を自分で会得していきます。人生は常に子どもから学び方を学び直す必要を感じる日々です。そして子どもが憧れる大人とは、子どものそういう試行錯誤を失っていないユニークな大人ではないかと私は思います。

試行錯誤できる有難さを感謝のままに、常に日々新たに楽しみを湧き出す実践をしていきたいと思います。