語る

人は人に「語る」ことで自分の伝えたいことを伝えることができます。この語るというのは、単に説明ができるというものではありません。この語るというのは、自分の「思い」を自分らしく語れるということです。誰かの借り物の言葉で話をするのではなく、それを自分の言葉で自分らしく語るときはじめて語れるように思います。

例えば、自分というものを語るとき、自分がどういう人間で何をしたいのかということを他人に伝えます。自分が今、なぜこれをやっているのか、なぜ今の会社にいるのか、そしてどうしてこれをやり遂げたいのかというのを相手に語ります。その際に、自分の生い立ちや人生体験、気付いたことを自分なりに自分の言葉にできれば「語る」ことになります。

ここでの語るは、「体験し気づいた思いを自分らしく伝える」ということです。

本来、語ることができるというのはその人にしかできなかった体験を誰かに伝えることではじめてその体験が自分以外の誰かと共有できるものになったとなります。人が人に伝える意味というものは、自分がした無二の体験をどれだけ周りと一緒に共有しようとするか、大切な気づきや大事な学びを分かち合おうとすることです。

そしてそこで語られることがもし夢があるものであれば、人々はその夢を信じるようにも思います。その人の夢が語られるとき、そしてその夢を信じるとき、御互いがはじめて本心で語り合うことができるようにも思います。

その人が語れるのはそれだけ人生の体験を意味づけし、その体験に感激し味わって自分の言葉で語れるからです。すごいなぁと感動したことや、これは本物だ!と心が揺さぶられたり、解決はこれだ!と魂が揺さぶられたりした、心の衝動や感動、感情も全て含めて納得した自分の答えがあるからこそそれを語れるのです。

自分の人生体験を体験するのは自分が体験しようと強く体験を求めていかなければ体験できません。誰かの体験を教えてもらってなんとなく疑似体験を空想でコピーしてみても、それはその人らしい体験をしたわけではありません。その人の体験に憧れるからこそ、自分も同じような体験がしてみたくなるのです。またその人にしかできない体験だと感じるからこそ、その人の有難い体験を分かち合える仕合せを感じることができるのです。

相手の気づきの深さが分かるようになり、それを語れるようになるには長い時間がかかります。相手と同じ実践を味わい、相手が気づき悟った内容と同じ次元で物事を理解するというのはご縁がなすことのようにも私は思います。

多くの人に夢を語りながら、その体験を自分もやってみたいと思われるような夢を育てて伝えていきたいと思います。