未来型とは何か

子ども達の将来に必要な力とは何か、学力についてこれから少し深めてみようと思います。

以前、米デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソン氏が2011年8月、ニューヨークタイムズ紙のインタビューで「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」と言いました。

つまり約15年か16年後には、65%の仕事が新しいものに入れ替わっているというのです。それくらい変化は著しく、常に今までやったことがない仕事が日々に発生し、そして淘汰されていくということです。

そこにはまったく今では想像できもしないような仕事があるはずです。

よく考えてみると、自分が小学生1年生の頃、将来の仕事でどんなことがあるかを思い出すとインターネットもまだ普及していなかったし、携帯電話もありませんでした。他にも今の社会で存在しているような職業もほとんどありませんでした。あの頃、将来どんな仕事につきたいかという夢を画用紙に書かされた記憶がありましたがあれなどは愚問だったと今なら思います。

子どもたちの可能性は、新しい未来に向かって開いています。

だからこそ、未来の教育とはそういう新しいものを認めてあげること、子どもたちがやりたいことを信じてあげること、つまりは子どもを信じ、丸ごと認め、そして子どもがやろうとしていることを見守るといったかかわりが必要なのではないかと私は思うのです。

今、幼児教育では藤森平司先生が「見守る保育」を実践しています。

まさにこの見守る保育そのものが、未来型教育の原型であろうと私は感じるのは子どもを見守るということにおいて何よりも子どもを尊重する教育方法であるからです。

子どもの未来を信じるということは、子どもを見守っていくということです。その見守り方の中には、周りにいる大人たちの生き方が問われます。そして子ども一人ひとりの主体性を如何に発揮させていくかといった、子どもを丸ごと信じて環境を設定するといった智慧が必要です。

年齢は関係なく、これは企業教育でも同じことが言えると私は思います。

未来は、創造と破壊を常に続け変化を已みません。自己改革や自己変革、つまりイノベーションという発達と発展をどう自分との対話、そして周囲との対話によってブラッシュアップしていくか、気づきの連鎖が未来の扉を開く鍵であろうと私は思います。

どう気づき、どう伸ばすか、子ども達には自由に未来を信じられるように見守りを深めていきたいと思います。