地球人財2~徳才の責任者(リーダー)~

今回の視察の中で特に印象深かったのはカンボジアの通訳の人物です。この方は、日本に来たことはないのですが日本語は流暢に使いこなし、日本の人たちがどのような気持ちを持つのか、何に共感するのか、自分自身の持ち味を存分に活かし周りを楽しませ、周りを笑顔にし、一回のご縁で私たちの心に深く遺るような仕事をしてくださいました。

この人は言語ができるだけではなく、人間力がありました。そしてその上で役立つものはなんでも誰かのために使える人物でした。人財と人材と書いていいかもしれませんが、人は財であり、そしてはじめて人は材になる。才能だけを集めて天才集団をつくっても、その材が活かせるかどうかは人財にかかっています。

実際は道具であっても道と具によってはじめて互いに活かしあうことができます。常に目的が善であってはじめて手段は適切になるものです。手段をいくら磨いてもそれがグローバルとは言わないと私は思います。その目的の高さに応じて手段もまた磨かれ活躍の場が世界の現場に拡がっていくのです。しかしその最初はいつも自分の身近な身の周りの実践の積み重ねからはじまります。

そもそも地球人財というものについて考えるとき、一つのある問いを思います。それは如何に自分を世界に役立てることができるかという問いです。役立てるというのは、本人からすれば役に立ちたいという人間本来のお役に立てる仕合せの実現です。

よく考えてみると、私たち地球上に生きる生き物は一つとして無駄なものがありません。どの生き物もそれぞれに大切でそれぞれに天から唯一無二のお役目を与えていただき、共に有機的に繋がり合って一緒に生きていきます。それは偉大な循環の中で、決して切れることがないご縁の世界のように互いに役割を全うしています。その多くを丸ごと活かす存在こそ徳の高い人であろうと思うのです。

これらの徳が高い人(存在)は、地球上のどんな場所であれ、どんな多様な生物のなかであれ、どんな条件下であったとしても地球全体を喜ばすことができるように思うのです。つまり自分の存在を自分が喜ばせ、同時に周りに役立てる地球が喜ぶ人財なのです。まさに孔子の言う「己達せんと欲して人を達せしむ」の境地です。孔子もまたグローバル人財だったからこそ今も多くの人たちの役に立っています。

この徳というものを磨くことなしにグローバルに活躍する真の人材は存在しないのではないかと私は思います。技能は手段ですからその方法を活かすのは徳のちからに由るからです。

地球人財は常に自分の徳才を世界の中で活かすための責任者(リーダー)であり、その道を誰よりも極めたプロフェッショナルです。一人ひとりの徳の宝をどう発見し発掘し発明していくか、それが原点となり人類の発達と発展の未来の可能性を広げていきます。

引き続き、今回の学びを綴ってみたいと思います。