自然学問

昨日、田んぼの稲の草刈りを行いました。自然に沿って見守る農法は、稲に寄り添って育てていきますから稲の声のようなものを感じながら一緒に育ち合っていきます。

梅雨の時期に生えてきた周りの雑草たちのも、所狭しと賑わっていました。土壌の発酵が活発な場所は、稲の成長も著しく周りの草草の追随を許しません。その空間は稲がしっかりと競り勝っています。しかし、土壌の発酵が鈍いところは稲の成長もゆっくりですから周りの草草に競り負けています。

草刈りは、その稲がどのような状況になっているのかを観察しつつ稲の目線で行う作業であるとも言えます。今は、農機具や除草剤、肥料などで直接稲の目線には降りていくことも少ない気がしますが実際に稲の中に入り込み、しゃがんで稲よりも低いところで草草と対面しているとどのような環境下で稲が育っているのかを感じ取れます。

誠実に手作業で相手の高さに降りてみると、相手の心に寄り添えます。生き物には共感する力がありますから、自分の目線で頭でったちでいたら大事なことが観えてはこないのです。

手作業の大切さは、心を感じるためにあります。そして手作業でしか観えてこない境地があるのです。それが現場での学び方とも言えます。

大変でもその現場に入り、その現場の目線で一緒に考え一緒に学んでいくことが本来の道です。道は、生き方ですから心をどうするかという課題に向き合うことです。簡単便利に頭でっかちに自分に都合がよい技術を頼り便利さを追求するのか、それとも大変でも苦労してでも心を相手に寄り添い真心を追求するのか。

実際にこの自然に触れれば、仕合せ中に本物の技術を持っているのが全ての生き物たちであることを実感します。その生き物たちを尊敬して近づいていくのだから、全身全霊で「カラダ」で直感していくのが自然学問というものなのでしょう。

稲から教わるばかりですが、今年も学び直しを楽しんでいきたいと思います。