実法りの道理

昨日は無事に自然農の田畑にて稲刈りをおえて稲架を終えることが出来ました。今年も稲と共に暮らし、有難く稔る御米を見つめながら季節を振り返ることが出来ています。

自然の手ほどきというものは、そこに真実があります。人間によりねつ造されて刷り込まれた世界にあまりにも浸かっていると、何が本当のことで何が自然で何が真実なのかが分からなくなっていきます。特に都市の中のみで生活をし、貨幣経済の中で効率ばかりを優先し日々に多忙で疲弊すると生き方が見えなくなるものです。

そんな時は、かつての祖先たちがいのちを繋いできた仕組みや仕業に触れつつ、心を古代に馳せて今を深く味わうことで本来の共生の意味や暮らしがある有難さに気づけるように思います。

今年の稲からの手ほどきは「手入れ」の大切さです。

今年は、昨年よりも田圃を拡大して倍に広げてみました。昨年と同じ要領で取り組んでみたのですが、どうしても倍になった分、時間もまたかかることで草刈りなどの手入れが半分になりました。すると、終わってみて収量を確認したらほとんど昨年と変わらないことに気づきます。

つまりは、いくら拡大しても手入れを怠れば手入れの分だけの収量であるということです。

自然界は正直で、本来自然の中に稲は存在しているのならば自然の量でしか存在しません。そこに人道といって、人の手が入ることで人が収穫できる量を増やしていくことができるのです。つまりは人が手を入れた分だけが実際の量に比例していくということです。

これは仕事でも同じで、丹精を籠めたり真心を入れて取り組んだ分だけは質量に比例します。それを怠り、拡大しても実際に手を入れた分しか結果も顕れないということでしょう。

この「手入れの法理」は、人道の法則でもあります。量を拡大するのなら、手入れを倍にしていくということ。それは作業を倍にするのではなく、心を籠める容量を大きくしていくことです。言い換えれば、意識を高めて念じていくということです。「稔」や「実」という字も、努力したあとに出てくる言葉です。手を抜くというのは、努力や真心を怠るということでもあります。

手を入れた分だけが必ず実法るという安心感こそ、天道地理の法則そのものです。

改めて自分が何を間違っているのかを気づけるのも、かつての暮らしの中ある生き方や働き方に照らせば自明するものです。自然からの学び直しというのは、何が自分が間違っているかを気づく道です。自分を存在させていただいている自然から、何が不自然で何が自然かを知ることは一生を子どもたちに譲っていくために大切な道理です。

私たちが主食にしてきた御米には「実法りの道理」があり、家祖アマテラスオオミカミの偉大な慈恵と真心が籠められています。その神家一家である私たちは、その恩恵に感謝して子々孫々へとその思いやりをつなげていくのが今の代を生きる私たちの御恩返し御恩送りでもあります。

自然を通して今一度自分自身を正しく見つめ、素直に、謙虚に実践を続けていきたいと思います。

ゆたかな家~暮らしの実践~

海外の格言に「男は家屋をつくり、女は家庭をつくる」というものがあります。これは家を持つということの役割分担を意味するのでしょうが、男か女かではなく、どちらにしても家屋と家庭は家族の象徴です。

この家族というものの定義は何か、それは親兄弟という意味だけではなくそこには「共に暮らす仲間たち」という意味があるように思います。もしも定義を大きくするならば、同じ時代に一緒に生きる地球上のすべてのものたちは家族だとも言えます。

この一緒に暮らしたものたちこそが家族だとしたら、家屋と家庭とはもっとも身近で生活を共にした仲間たちの住まいだとも言えます。それは決して独り身だから家族がいないというわけではありません。ある人は植物と暮らし、ある人は熱帯魚や虫たちと暮らし、その他動物たちと食べ物を分け合い、そして御互いを見守り合いながら暮らします。私の家も、帰ってくれば様々な生き物たちに「ただいま」と挨拶をし、「お変わりはないですか」と健やかで安らかでいるかを確認していきます。それは対話をしているとも言えます。対話がないというのは本当の意味で孤独であり孤立です。自分が共に暮らすというのは、そのものと対話しながら生きているということであり、関係性を結んだ仲間たちとの生活は安心し愉しいものです。

家に帰るというのは、一緒に暮らしている仲間たちに会いにいくようなものです。そこには御互いが思いやり、御互いが必要としあって存在している絆があります。仕合わせというのは、暮らしの中にありますから暮らしを亡くして働くというのはまるで幸せを遠ざけている生き方です。

一家の一員という意識は、周りの仲間との関係性の中で育まれていきます。「ただいま」「おかえり」という、戻って来る場所、原点、自分の心が休まる場所が家だとも言えます。家の中に生きている生き物たちや御縁があったものに囲まれることで自分が活かされ生きていることに気づけば心は自然に安まるものです。

よく孤独死だとか孤立死だとか将来を心配をする前に、まず自分の家がどうなっているか、そして「暮らし」がどうなっているかを今一度見直した方がいいのかもしれません。生き方が住み方であり、家の持ち方が生活の生き方ですから常に「暮らし」は生きていく上での初心ということでしょう。初心がどうなっているかが間違えば、暮らしから遠ざかり貧しくなってしまうかもしれません。いくら豪邸で立派な家でも、そこに暮らしがなければどこかそこに真のゆたかさは感じられません、それよりも質素で小さな家でもそこに「暮らし」があり一緒にいきている仲間がいるのならそこには本当のゆたかさがあり味わい深い「家」があり、見守り合う「家族」があります。

家屋・家庭・家族、それらを結び取り纏めている一家はその人のかけがえのない財産です。その財産に見守られているからこその安心感の中で人は生長し自立し、一生の物語を飾っていきます。そしてどんな仲間たちとの思い出に飾られた人生かは、一人ひとりが一緒に暮らした中で周りの家や家族に顕れてきます。つまりゆたかな人生を送る人には、一緒に生きるものたちとのゆたかな物語、ゆたかな暮らし、そしてゆたかな家があるということです。

一人ひとりのゆたかな暮らしこそが、社會全体のゆたかさを創造していきます。ゆたかさの実践とは「暮らしの実践」ですから、しっかり暮らす人は社会全体もゆたかなものに換えていくように思います。

暮らしのゆたかさが家の象徴であり、その人の象徴ですから子ども達のためにも「暮らし」を丁寧に見つめて実践し、仕合せを味わっていきたいと思います。

住まいと生き様

人はどんなものと一緒に暮らしているかで住まいは容どられていくものです。その人の生き様が住まいには出て来ますから、どんな生き様であるかは次第に身のまわりのものたちに引き寄せられ顕れてきます。

よく考えてみると、人生の御縁も同じくどんな人たちに出会ってきたかが人生の生き様でもあります。その人の出会い歴が、今のその人でもありますからどんな御縁に彩られてきたかがその人生の姿容に顕現します。

そう考えてみると、その人の御縁を辿ればその人がどんな方々に見守られ一緒に生きてきたかといった生き様歴を知ることでその人が一体何と繋がっているかを観ることができるようにも思います。

例えば、住まいでいえば住まいの中にどんな宝物を見つけてきたのか、何を飾り何を愉しむのか、そしてどんな思い出を持っているのか、どんなつながりの中に自分を置いているのか、何を大切に生きているのか、そういうものも住まいから感じ取れます。住まいとは生き様であり、生き方の根本を支えてくれる場所ですからそこには確かな魂が宿るようにも思います。

そもそも宿るという考え方は、人間はこの世に出てきて魂が御身体をお借りしている借りの宿という見方もあります。海辺に住む宿借のように、私たちも魂を守る宿をお借りして生きています。いつかは死んで元に返さないといけない日が来ますが、その日が来るまではお借りして生きていくことができるのです。だからこそその借りの宿の一つでもある住まいを大切にすることと自分自身を大事にすることは分けることはできません。

住まいの中の一つ一つには、御縁に彩られたストーリーやドラマに溢れています。その一つ一つをどれだけ大切にしてきたか、それが愛着だとも言えます。過去の記憶を美化し、今まで恩恵をいただき助けてくださった方々の御縁と御恩に感謝して今の暮らしに自分を見つめることは繋がり(御縁)の中に住まいを置いていることだとも思います。

最近は、住まいにも粗末にする生き方が出てきてすぐに気に入らないと捨てたり忘れたり投げ出したりなかったことにしようとしたりという風潮が多いように思います。不自然に教え込んだ刷り込みから間違った個人主義が蔓延し、繋がりや絆、家族や家といった本来の仲間という存在、魂の御縁をも私物化しているように思います。

どんなものにも、どんな人にも大切なご縁がありますからどんな御縁に導かれているのかを愉しむ心の余裕が住まいには遺っています。一生の中で出会ってきて、共に暮らしてきた期間こそが人が住んだ証です。

「もったいない」と人生を大切に生きていく人は、きっと良質な住まいに巡り会うと思います。

住まいは生き様ですから、自分の住まいを大切にして一つ一つの思い出を刻みながら御縁を愉しみ大切な日々を過ごしていきたいと思います。

暮らしと一体~和の住まい~

先日から「住まい」のことを深めていく中で、改めてここでも日本人と欧米人の主文化の違いについて考え直す機会になっています。

以前、ある人から「なぜアメリカの番組では、リビングで家族が集まってテレビを見たりするシーンが多いか知っていますか?」と聞かれたことがありました。これは日頃は個々人で部屋にいて出てこないので、家族の約束事としてリビングに集まる時間を設けていると言っていました。

また同じように週末に教会で集まるのも、個々人の家で離れているとコミュニティが薄くなっていくので敢えて村の決まり事として教会に集まりミサを歌ったりして集団である時間を設けていると聞きました。個人主義の国の文化は、個人個人が唯一絶対の神と契約を結び、それ以外のものには救いを求めず従いもしないということを約束しているといいます。なので個人での独立というものが強く要求されますから、敢えて個人主義を優先し、その上で集まると言った「個のつながり」が文化になっています。

それに比べ、私たち日本人は「和をもって尊しと為す」というように和の文化です。個のつながりではなく、八百万の神々といって一人ひとりが神様の一人だとしてみんなが神様でありいのち(尊)であるという御縁を中心に社會が繋がり合っています。つまりは和尊文化を持っています。

なので敢えて無理に個を独立させる必要もなく、最初から御互いにそれぞれの持ち味を活かしあって助け合い仲間や家族と一緒に生きていこうとするのです。この「一緒」にという考え方は、欧米のチームという言葉以上に私たちに日本人には大切な意味があります。

そこで住まいを考えてみると、戦後、日本の住宅建築は壁を作り、ドアで閉ざして広さや部屋の数を求め続けてきました。今でも豪邸と呼ばれるものや、欧米的な高級マンションをはじめ住居は部屋数と広さばかりが取り沙汰されます。

しかし本来、和の住まい、和の佇まいというものはそういう個人を膨張し拡張させていくような部屋ではなかったはずです。それは個の膨張や拡張を望むよりも住まいと一体になっている姿、言い換えれば「暮らしと一体」になっていることが私たち本来の先祖代々から連綿と続いてきた住居ではないかと私は思うのです。

味噌や醤油、その他の発酵食品を自前でつくり、そして家の中には様々な動植物や野草などと共生し、無駄なものは一切なく、すべて循環するように家の中を満たしていました。そしてそこで暮らすのは御縁を授かった「家族」ですから、それぞれに必要な役割分担があり、それぞれの持ち味を活かしつつ、一緒に末永く暖かく仕合せに暮らしてきました。

この「暮らし」というもの、それが住まいであるのです。

住まいが崩れるというのは、暮らしが崩れるということです。生活の基本は暮らしにありますから、暮らしをしようとしない生き方というのは自分でかつての和の文化を歪めていることに他なりません。先祖たちが一番大切にしてきた、自然との共生や、家族との絆などを自ら放棄して何でもかんでも捨ててしまっていては、つながりや絆、御縁や結びつきすらも感じられなくなって独立どころかそれは単に孤立して孤独になっていくばかりです。

自らが暮らしを捨ててハウスレスにならないように、自分たちの住まいの在り方や生き方から子どもたちのために見直していきたいと思います。和の住まいとは本当は何か、それを改めて深めてみたいと思います。

生き方と住み方

先日、あることから「住まい」について考える機会がありました。「住居」というのは、単なる部屋ではありません。住まいはその人の暮らし、つまりは生き方を支える器でもあり、それは家とも言い、家はその人生の中心とも言えます。

以前、「あなたはどんなものを食べてきましたか?」という食歴のことを聴くことを書きましたが、「あなたはどんな家に住んできましたか?」もまた住歴といって大切なことです。ここで確かめているのは、つまりどんな暮らし方をしてきて今があるか、そしてどんな生き方をしてきたかの確認なのです。

生き方が素敵な人は暮らし方も素敵です。生き方と暮らし方は、その全体の働き方まで決定づけますからここの中心や基本を蔑ろにして本質の方を正すことは難しいように思います。

人は「暮らす生き物」ですが、どのように豊かに暮らすかでその人の心の豊かさや醸し出す人柄が滲みでてくるものです。そしてその暮らしの基本が「家」であるのは自明の理です。

私が共感する建築家に清家清さんがいます。この方は「住居学」を深め、住まいとは何か、そして住み方とは何かということを突き詰めておられた建築家ではないかと私には感じます。私自身も、子どもの憧れる生き方や暮らし方、そしてそこから「家」を考え、どんな家に住み、どんな住み方するのかを考えるときの基本として参考にしています。

その方がこんな言葉を遺しています。

『住まいを考えることは、家族を考えることである。住まいをどうにかしなくてはと考えるあなたは、家族のことを案ずるあなたでもある。』(ゆたかさの住居学 エビデンス選書より)

この方の住まいの定義は家族であり、どんな家に住むのかはどんな家族を持つのかということです。そして住まいを大切にするのは、一家のこと家族のことを大切にしたいと思う自分自身がいるということの確認なのです。

私自身も、家に埋炭をしたり社内に備長炭を敷き詰めるのもすべては家内の健康や平安を祈る心から自生してくるものです。家を大切にしたいという思い、家内安全のネガイは家づくりにこそ出て来ます。

そして住まいについてさらにこう語ります。

『漢字には、住まいを指すのに二つの文字がある。すなわち「宅」と「家」である。この場合、宅はハードウェアとしてのハウス、家はソフトウェアとしてのホームにあたる。ところで、東京などの地下道で最近よく見かける路上生活者のことを、ホームレスというが、厳密にはハウスレスというべきであろう。』

つまり単なるカタチとしての「宅」ではなく、そのココロである「家」があると言います。ホームレスは厳密には家がないというべきであるといいます。家がないというのは、家族がないということでもあります。「家」ということの本質は、家族がいるということです。そしてよい家とはどのようなものが善いのかということでこう言います。

『よい家とは、お金をかけるだけではなく、本当に末永く愛着をもって住めるかどうかがキメ手なのである。』

お金をかけるかどうか、安いか高いかではなく、その家のことに暖かみを感じているかかどうか、そしてその家で暮らした日々に愛着を感じられるかどうかが「住まう」ということだという意味ではないかと私は思います。そこで暮らした日々は、そこで生きた思い出でもあります。だからこそ自分の人生史において、そこに愛心を感じて手入れをすることでますます家もまた家族もまた大事にしていけるように思います。

そして最後にこの言葉で締めくくります。

『家族の気配が常に感じられる家がいい』

家に帰ってきたとき、家族の気配がある家にしていくということ。それは御縁頂き授かっているものに感謝し、よく手入れをして日々に丹精を籠め、整理整頓掃除をし、よく行き届いている暮らしが其処にあるということ、そういうものに囲まれてその人の真心が息づいている、まさに豊かさが感じられるようなものが家であり家族であり一家であるようにも思います。

家はその人を顕すとも言います。そして生き方はまさに住み方ですから、生き方を変えるには住み方を変えていくことも大事なことです。家族や一家を大切にするというのは、家を大切にしていくことです。

子ども達に何百年も続くような安心した家を遺してあげられるように、住み方を観直し、生き方も観直し、引き続き深めていきたいと思います。

 

意識と能力

人が何かをする際や物事に取り組む際には、能力と意識というものがあります。能力があるからこなせる人と、意識があるから取り組む人がいます。同じ物事を取り組んでいても、そこには確かな差があることに気づくものです。

例えば、マニュアルを使ってテクニックだけでできるのならロボットでもできます。しかしそこに確かな意識を入れろうとすれば手間暇かけてでもその人の意識が籠ります。陶芸なども、機械で大量生産したものと手作りで丹精を籠めてつくられたものでは手に持った時の重厚な質感が異なるものです。

これはモノづくりにおいても、能力と意識とは確実に異なるものがあることを意味しています。では意識とは一体何かということです。

現在の科学では、意識のことをはっきりと証明できているわけではありません。意識を失うとあるように、一般的には脳が意識を持っているとして脳が死ねば意識がなくなると定義しています。しかし、実際は意識がないかというと生きているのだから生命は存在しているのです。例えば、動植物にいたるまですべての生き物には意識があります。意識というものが存在している証ですから、意識がないものは一切存在しないはずです。

バッタが飛び跳ねるのは能力ですが、バッタが生きているのは意識です。生きようとする意識があって、その次に能力が出てくるのが本質ですから能力が先ではないことは事実です。

人間はこれを勘違いして能力だけで物事をこなそうとしていると勘違いしている人がいます。仕事においても、能力があるからやっているという考え方では意識はあまり関係していないように思えます。しかし実際はどんな「思い」で取り組んだか、どんな「意識」でやり遂げているかで、その能力の違いはそのうち数百倍もの差が出てくるものです。

進化成長の中に能力がありますが、能力とは意識によって開花していくものです。意識が強ければ強いほどに、その人の能力はより一層周りの御役に立つために変化していきます。自分の意識がどうなっているのかを確認する機会は少ないでしょうが、どんな「思い」を持って取り組んでいるか、どんな意識で実践しているかは人生において何よりも重要なことだと思います。

「真心を籠める」という言い方もしますが、意識を籠めるというものも同義です。常にどんな意識で周りと接しているか、どんな思いで今を生きているかが本来の能力に比例して御力を発揮することができます。

できるできないと考える癖や刷り込みは、能力だけで物事をみてしまい裁いてしまう自分の価値観の思い違いです。まさに論語にある「今、汝は画れり」です。実際はできるできないではなく、やろうとしているか、本気かどうか、情熱的か主体的か、自らそれを遣りきると決心したかといった「意識」の方が本来は何よりも大事なのです。

意識はエネルギーですから、その人のエネルギーが強ければ強いほどに能力が開発され開花します。自分のエネルギーを常に高め続ける努力や、自分の意識をブラッシュアップし続ける実践は、何よりも自分自身の変革を促し、自分自身に近づいていくための智慧であろうと思います。

「意識が変わる」ことは人が変わることです。

自分の意識改革を行うためにすべての努力があるといってもいいかもしれません。心が感じたままに、心の感動を刺激し、魂を揺さぶり、意識を磨き続けていくことを大切にしていきたいと思います。

子ども達にも何よりも大切なのは「意識を籠める」「真心を籠める」ことだとし、行動と実践を積み重ねて精進するモデルになるように引き続き理念を高めていきたいと思います。

 

 

彼方の海道 完

久高島は、原始母系の社會が残存している島だと言われます。アマミキヨという女神を中心にノロと呼ばれる神女(巫女)たちが島でいのりを捧げる場所です。島では「男は海人、女は神人」という諺もあり、女性のほとんどが神職者として様々な祭祀を取り扱っています。女性は家族の守護者として、一生涯、夫、子をはじめ一家を見守り続けていく存在としています。

この島は、女性たちが完全に自給できる島であったと言います。島の東側にはたくさんのサンゴがあり、潮の満ち引きででてくる貝を採ったり、森には貴重な野草や、食べ物がありました。その他、近海の魚も採れ、暮らしを立てていたそうです。男の役割は、漁にでて留守にしていますからほとんどが女性たちで家を形成していたとも言えます。

フボー御嶽というところは、原始の魂が宿る場所と呼ばれ男子禁制になっています。アマミキヨといった祖神の魂が、その住居跡に遺っていると信じられています。ニライカナイをはじめ、「原始の魂」とは心の故郷でもあります。戻ってきたいと思える場所、帰ってきたいと思える場所、それが故郷「根のクニ」であろうと私は思います。そしてその根のクニには「見守られてきた思い出」がある場所だとも言えます。人は見守れるからこそ故郷(根のクニ)があり、見守られたところが故郷(根のクニ)です。そういう魂の故郷(魂の根)を持っているということは、生き死にを超えたところに存在するように思います。

民俗学の柳田国男さんが、同じ民俗学の折口信夫追悼会にて「根の国とニルヤのこと」としての言葉にはこうあります。

「つまり日本人が昔持っておったニルヤ、ネノクニという国は、モトの国、モトツクニであって、遠くの方、海の水平線の向こうのウナサカにあり、相応に楽しい所であり、人も時々は戻ってくることのできるところであったということであります」

海の彼方には根のクニがあったと言います。魂の故郷、自分たちが見守られた場所があったと言います。そこは魂の楽園であり、何かがあれば戻れる故郷があったといううことです。人々が疲れ斃れそうなとき、懐かしい場所があるということは何よりも魂を救います。かつてヤマトタケルの望郷の詩「大和はクニのまほろば・・」を思い出しました。私たちの望郷というのは、故郷への思いです。その故郷がいつまでもあることで私たちは外に出ていくことが出来ます。そして外に出たら帰る場所があるから安心できるのです。さらに柳田国男さんはこういいます。

『亡き人と会える場所と伝えられる』三井楽(みいらく)という地名の考証には、私は最初南島のニルヤ・カナヤが、神代巻のいわゆる根の国と、根本一つの言葉であり信仰であることを説くとともに、それが海上の故郷であるがゆえに、単に現世において健闘した人々のために、安らかな休息の地を約束するばかりでなく、なおくさぐさの厚意と声援とを送り届けようとする精霊が止往する拠点でもあると、昔の人たちは信じていたらしいこと、その恩恵の永続を確かめんがために、毎年心を籠め身を浄くして、稲という作物の栽培をくり返し、その成果をもって人生の幸福の目盛りとする、古来の習わしがあったかということを考えてみようとした。」と。

まさに久高島が「神の島」と言われる由縁です。一家を見守り、いのり支えられる場所、そして魂が戻る処こそ、私たちが永遠を確認する場所であったということでしょう。そこには神の仕業という仕組みがあり、具体的には稲作という稲を共に育てることをもっていつまでもその魂の故郷の生き方や暮らし方を見失わないようにという初心伝承があったのかもしれません。稲がどのように伝播してきたか、そして海上の道を先祖たちがどう歩んできたかの終始点は確かに琉球にあったのかもしれません。

そして同じ民俗学の折口信夫はこう言います。

「万葉人の時代には以前共に携へて移動して来た同民族の落ちこぼれとして、途中の島々に定住した南島の人々を、既に異郷人と考へ出して居た。其南島定住者の後なる沖縄諸島の人々の間の、現在亡びかけて居る民間伝承によつて、我万葉人或は其以前の生活を窺ふ事の出来るのは、実際もつけの幸とも言ふべき、日本の学者にのみ与へられた恩賚である。沖縄人は、百中の九十九までは支那人の末ではない。我々の祖先と手を分つ様になつた頃の姿を、今に多く伝へて居る。万葉人が現に生きて、琉球諸島の上に、万葉生活を、大正の今日、我々の前に再現してくれて居る訣なのだ。」

生き方を見つめるのならかつてどこから私たちが生き方暮らし方を訣別し分けてしまったのかを思い出す必要があります。分かれてしまって出来上がった社会が今の現実だとし、もしもこの今の社会が間違ったのではないかと心が気づいたのならまたそこでご破算にして初心からやり直せばいいのです。その初心を求めるとき、まだ全国各地の美しい故郷にはそれが遺っているはずです。そこに暮らす悠久の長い歴史を助け合い和の心で生き抜いてきた先祖たちを尊敬し、今の私たちの生き方をどう温故知新していくかは今を生きる私たちの本当の使命ではないかと私は思います。

そして私たちの先祖、「万葉人」は『言霊』を扱う民でした。その本来の万葉人の直流こそが琉球人だともいいます。私たちの先祖たちがどのように暮らしてきたかを求め探し出し、伝承する場所をどのようにして遺していくか、課題はまだまだ山積みです。

最後に魂を磨く時代、魂を救う時代、沖縄では魂のことを「マブイ」といいます。先日、沖縄で参加した朝礼である経営者の方から「魂を磨いている人たちをみると眩しい」と言われたことを思い出しました。

マブイを磨くのは、俗語ですがマブダチ(仲間)に出会い、マブシイ(本物の美しい姿)を顕現していくことかもしれません。引き続き、子ども達の三つ子の魂を見守るためにも、魂磨きを深めつつ実践していきたいと思います。

彼方の海道も今回で御仕舞ですが、引き続き島根へとつながりを愉しみたいと思います。子どもの故郷を遺して譲っていくために、いただいたいる御縁を大切に歩みを進めていきたいと思います。

彼方の海道 参

昨日は久高島にきて、御嶽を中心にいのりの場所を巡りました。夜には満天の星空を見上げて夜半まで仲間たちと語り合うことが出来ました。かつての先祖の心に思いが宿る場所で思いに心を寄せて思いを馳せると、きっと悠久の暗闇の中で星々が煌く天を見上げて、波の音響聴き、風を受け止めて炎の揺らぎの中で天と対話していたのではないかと感じます。

今の時代のように一晩中、街中の街灯が光っていては夜が持つ暗闇というものの価値や星空というものの魅力もまた感じることができなくなっているようにも思います。私たちは朝から夜になるまでは太陽の明るさで気づきませんが、空の向こうにはたくさんの星々が瞬いています。夜になり太陽の光が消えると、そこには地球と同じように星たちがそれぞれに息づき広大な宇宙の中で循環している様子が実感できます。

暗闇の中には、眼には見えないとても大きな御力も働いているように思います。暗闇はとても暖かく、眼でみるのを已めてしまう時、本当の慈愛のようなものを感じるものです。それはまるで、自分が宇宙の中で自由な星の一つになったかのような感覚を憶えます。畏怖を超えたとき、そこにはつながりの中にある仕合わせと歓びがあります。

御蔭様で昨夜は一晩中外で星空を眺めていたら、たくさんの流れ星を見つけることができました。流れ星は日々に約400トン、1年で約15万トンほどの塵が地球に降り注いでいるともいいます。これを100年、1000年、そして1億年、10億年と積み重ねていくと私たちの星は流れ星の砂によって覆いかぶさっているようにも感じます。先日、あるクルーからこの砂はどこから来たのかと聴かれましたが、それは流れ星から来ているという直感もまたありました。

あの流れ星は一体どこからきてどこにゆくのか、そして私たちは一体どこから来てどこに向かおうとしているのか・・・光から闇へと琉れた球(玉)は、闇から光に回帰していきます。闇の中の光は、光の中の闇へと流れは移り変わります。そしてあけの明星が顕れもっとも光りだすころ、それまでの星屑たちは次第に姿を消していきます。

星のいのちもそれぞれに宇宙の中で意志があって旅をし星々を廻り、意思があって根を降ろします。古から魂は宇宙を旅し、そして宇宙を旅した中で隕石や流れ星となり、新しい宿り先を辿っていくのでしょう。

いのちは生物非生物、生物無生物を超えて出会い語り合うのかもしれません。どんな出会いがあるか、それはひょっとしたら1億年に一度の出会いかも知れません。もしくは10億年の一度かもしれません、そしてその瞬間はほんの数時間かもしれませんし、数十年かもしれません。

それでも必ず星たちは”出会う”のです。

星空に出会うことは、自分自身に出会うことです。海の道を辿ってきた先祖たちは、星空を見上げては天と一体になって自分自身との対話をしていたのでしょう。地球と背中を合わせて地球に背中を任せてこれたのは、天を見上げて地球の未来を信じていたからかもしれません。

あの彼方の海道にある先祖が目指した真の暮らしの実践は、時を色あせず今でも星空を見上げれば思い出すことが出来ます。祖親が祈った生き方を子どもたちのためにも譲っていけるよう今回の久高島での不思議な体験を忘れず力強く実践していきたいと思います。

 

彼方の海道 弐

昨日は島伝いに私たちの祖親たちは、海の彼方の根の国から来て種を持ってきて開闢してきたということを民俗学の視点から言いました。また人類学・考古学の観点からは種子島をはじめ琉球列島は3万2000年前に山下洞人、1万8000年前には港川人が住んでいたことも分かっています。種子島の遺跡からは、広田人といって縄文人よりも前に貝文人という人たちいて土器に貝を使って装飾をしていた人たちがいたことも分かっています。縄文時代は土器に縄で装飾をしていたことで縄文ですが、貝文というものは貝で装飾をするから貝文です。

これらの貝を用いた人たちは、貝を拾い貝を食べ、貝に装飾をしてそれを交易し、あらゆるところを移動して様々な文化を伝えたということが分かっています。その証拠に、日本中のあちこちの遺跡で種子島で加工された貝の装飾が見つかっているからです。

沖縄では、かつてグスク(城)と呼ばれる聖域を人々の集合体がありました。今でも今帰仁城や首里城など今でもいつか残っています。その後も按司と呼ばれる人々をとりまとめた人たちを中心にかつての交易文化を駆使して、あらゆる近隣の国々と交流して様々な文化を融和融合させてきた和の心を持っています。

和の心は、今でもそのまま受け継がれ私たち日本人の考え方の中にも色濃く継承されています。私たちのルーツを辿っていくと、私たちはどうやってできたのか、そして私たちはどのように歩んできたのか、さらに私たちのずっと昔の先祖は何を大切にしてきたのかを知るというのは「自分自身」になり、「自分自身」を知るためにとても大切なことであると私は思います。

古事記や日本書紀、日向神話などもありますが、その中に共通して息づいているものを紐解けば、随神の道を遡ることができます。その道の彼方には、私たちの民族性というものの根幹があり、その根とつながることは今を生きる私たちの本質を自覚することでもあります。

今日から久高島にいきますが、ここは琉球の創世神話アマミキヨ(アマミコ)の場所であると言います。ここはとても不思議な島で、かつて中国から使わされた冊封使の副使 夏子陽が書き残した「使琉球録」という古典が「異種の人」という呼び名でこの島の人のことが紹介されています。

「久高島 世に異種の人を生ず。往古の時より知念間切久高島に異種の民有り、賦性(生まれつきの性質・天性)誠樸(誠実でありのまま飾り気がない)、聡敏(感覚は鋭く、物事の理解が早く賢い)人に過ぎ、善く産業を為す。家道る富みて、今其の族七八有り。皆膝よりに至るまで甚だ痩せて踵なし。短く指長く、其の状 手掌の如くして地に按つ」(使琉球録の巻十四)

意訳すると、久高島には不思議な人たちがいる。生まれつき素直で誠実、感受性や直感が鋭く吞みこみも早くどんな智慧も吸収する。家や暮らしは豊かで今でも7~8人はそういう人たちがいる。特徴は、膝より下が痩せてかかとがなく足の甲は短く指が長い、その様子はまるで手のひらのようであると。

特徴が不思議なのも驚きますが、性格や個性が今の日本人の特徴と似ているのではないかと感じるのです。どんな人たちだったのかはわかりませんが、外国の人たちが私たちのことを素直で純粋、純朴で美しい民だと評されるような祖先がいたのではないかと直感します。

今一度、こういう時代だからこそ自分たちの本来の姿はどういうものかを観直してみたいものです。最後に、小泉八雲が世界に紹介した日本人の品格について紹介して魂の声を確認していきたいと思います。

「彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。・・・人々はみな、お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする』。たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない」

根(ニライ)と通じるのは、その真心です。真心の日々を味わいつつ、子どもたちに譲れる未来を見守りつつ直向きに伝道していきたいと思います。

彼方の海道 壱

昨日からカグヤ一家のみんなと沖縄に来ています。昔、民俗学を深めていたときにルーツを辿る旅をしたことがあります。海上の道といって、民俗学の柳田国男さんが稲は沖縄・奄美と南方の島伝いに来たとの仮説を説いたように、周囲を海に囲まれた日本列島は太古以来海上の道を通じて広い世界につながっていたということを調べています。

種と共に人がどのように移動してきたかということに着目をして、先祖たちの移動の経路を辿ったのです。以前、種子島に訪問したときある遺跡から赤米を育て赤飯を炊き、貝に装飾をし交易をする古来の民がいたことが分かってきています。またこの南国の島に遺る数々の神話には、ニライカナイという根の国に棲んでいた民が渡来してきたことが口伝されていまに遺っています。

自分たちの先祖がどのように暮らしてきたのか、そしてどのような生き方をして今にいたるのかを知る旅は今を生きる私たちにとってとても大切なことだと私は思います。祖親たちから受け継がれてきた「思い」や「祈り」を、譲られているから私たちの価値観が存在し、私たちの「真心」が生きているとも言えます。

何かを考えるモノサシに「悠久の魂」を感じることは、本来の私たちの暮らし方を見つめ直す大切な機会であると思います。この世のすべては御縁によって結ばれているともいいます。そういう御縁に結ばれていることが常にはっきりと観えているのは心の豊かさに生きていることであり、感謝や御蔭様、偉大な恩恵を授かった今の自分を大切に生きることに似ています。

地球は46億年、そして私たちの先祖たちも何億年も前からこの地球の中でいのちを譲り渡してここまでつないできてくださいました。その「思い」を子どもたちに「つなぐ」のもまた私たちの役割であり使命です。

どんな生き方をしてきたか、どんな魂の磨き方をしてきたか、それは今を生きる仲間たちによって思い出され甦ってきます。懐かしい島の音を聴きながら、「彼方の海道」に思いを寄せてみたいと思います。