理念と試練

人は誰しも新しいことに挑戦をすると決めれば同時に試練というものが訪れるものです。この試練とは何かといえば、成長するということです。今のままではなく、理想に近づこうとするならば当然そこには試練が待ち受けています。その試練に立ち向かい、それを乗り越えるときその人は成長したと言えると思います。

しかしその試練を避けては、試練からいつも逃げていたら成長が止まってしまいます。本来、目指している理想や理念があるのならそれに向かって片時も休まずに足を前に出して歩んで往く必要があります。自分の与えられた場所で人はそれぞれに試練がありますから、その試練を乗り越えて新たな自分に出会い続けていくのが人生の醍醐味のようにも思います。

理念というものは、その人が守りたい理想、または本質、言い換えれば志魂の声とも言えます。それを発してそれを信じるという実践は、常に物事が発生したときに判断基準や優先順位を理念に合わせて自分が守ると決めることになります。それを決めると決心したときからすでに試練ははじまっており、様々な出来事が発生したとしてもその時こそ「自分が試されている」とし、今まで安易に避けてきたものと向き合い、そこに自らで立ち向かい乗り越える勇気が必要になります。

この勇気は、信じるチカラのことであり試練を成長の善き機会機縁と捉えてピンチをチャンスにして福にしていく燃料になります。

気持ちがネガティブの時は、問題が起きるのを嫌がるものです。しかし気持ちがポジティブに転じていれば、問題が起きていることは自然治癒がはじまっているのかもしれないとし、いよいよ成長に転じているのだと信じて試練にじっと耐え忍び実践を積み重ねていけば時が次第に解決してその分、自分自身の信念もまた鍛えられていくように思います。

かのインド独立の父である、マハトマ・ガンジーにこういう言葉が遺っています。

「不幸は私たちに与えられた試練である。この試練を乗り越えたとき、すべてはきっと好転する。そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう。」

理念を発信するということは、それだけ世の中や自分の心に対して正直で居続けるということです。外側で様々な現象が発生したとしても、内側では不動の如く理念を守り続けるという強い意志と心の精進の継続が必要です。しかしそれは決して不幸なことではなく、有難い試練をいただいているとし、「きっと善いことになる兆しだ」と「天命を信じ人事を盡す」と転じていければ視野も広がり感謝の心で歩ませていただけるのかもしれません。

そんな試練の時、人間は寄り添って見守ってくれる存在があることで私たちはその燃料とも言える「勇気」を与えられます。見守るを学び直し実践するというのは、須らくこの理念と試練の中にこそあるのかもしれません。

見守り見守られる間に在る美しい魂の邂逅を味わっていきたいと思います。