感性を磨く

人間には「感性」というものがあります。

この感性とは生きていく上でとても重要であり、その感性が時代の先を読み、周りの人々を倖せに導いたりします。つまりはリーダーの資質の中で何よりも大切な能力であるように思います。そしてその資質には、素直さや自然環境を通して学ぶという謙虚さがあるように思います。

最澄の言葉に「おのずから住めば持戒のこの山は、まことなるかな依身より依所」という言葉があります。自分をどのような環境に運ぶのか、リーダーは常にその感性を磨くための精進を欠かすことはありません。私が風土を探訪して山に学ぶのもまたその直感を研ぎ澄ませていきたいからです。

人は本来、環境から学ぶ生き物です。その環境からカラダで学び、「勘」や「直感」というものを会得していきます。それは知識ではなく智慧であり、経験や経年を積んだ中で磨かれた感性のことです。よく「直感」で物事を決めていく人は、頭が良いわけではなくその人は磨かれている感性を持っているということです。そして感性とは鈍るものですし、感性とは磨くものですから感性に対する精進を怠るなら当然「直感」もまた冴えなくなってきます。

そしてこの「直感」や「勘」というものは具体的な「失敗の質量に比例する」ように思います。つまり、体験をし失敗をし何度も何度も繰り返し改善する、その勇ましい挑戦と、七転び八起きの逞しい生き方によって次第に磨きがかかり研ぎ澄まされていくのです。感性を使ってるというのは言い換えるのならば「五感をフル動員」して自分も持つ全てを出し切り使っているということです。その集積で得た境地のことを「コツを掴んだ」とも言います。

つまり心を澄ましたり、魂を磨いたり、真心を盡したりという行為は全て感性が関わります。その感性は機械やロボットでは持ちえないチカラであり、人間が人間たる由縁でもあります。そういう感性を磨いていくことは、自然の一部である自分自身の本能を使っていくことでもあります。

今の時代はすぐに知識ばかりを優先し、直感や勘というものを少し見下げているような風潮があるように思います。しかし本来は、自然の中で生きている私たちに感性が磨かれていなければ実際に悠久の永い年月に生き残ることはできなかったように思います。

敢えて厳しい環境の中に身を投じたり、敢えて苦しい環境の中で手間暇を惜しまないのは、その環境の中で感性が研ぎ澄まされていくことを自覚するからです。失敗を恐れずに何度も何度も場数を踏むのが大切なのはこの「直感」や「勘」のコツを掴むために必要なのです。

子ども達が何度も何度も繰り返しやってみては泣き、やってみては笑うのは、これらの感性を磨いている証拠です。子どもから学び、子どものような学び方を思い出し学び直すのは全てその悠久の年月で得て来た智慧に回帰することのように私は思います。

子ども達と同じように一生感性を磨いていきたいと思います。