感性を磨く2

昨日、感性ことを書きましたが「直感」や「勘」はコツを掴んでいくという言い方もしましたが自然に触れ自然の智慧を会得することでその感性もまた磨かれていくように思います。

身近な自然物を使い、道具を一つ一つ拵えていくことは自分自身の中にある本能や感性を呼び覚まし研ぎ澄ますことになっていくものです。

先日、島根にて注連縄づくりの伝承に参加する機会がありました。稲藁を束ね、ねじり、巻き、そして結ぶことを取り組む中でチカラの入れ方を学びます。一つ一つの道具の中にはとてもシンプルですが何をすれば自然のチカラを活用できるのかをカラダを通して体験で直感して体得していけます。

これは五感を使って自然のチカラを活用し道具を創る中で身に着く智慧とも呼んでもいいのかもしれません。

かつて日本民藝館を設立した「柳宗悦」に「見て知りそ、知りてな見そ」という言葉があります。これは知ることを先にして見ることをあとにしてはならないという意味です。よく「考えるよりも感じろ」という言葉もあります。知識ばかりを先に掴み、そのあと智慧を掴もうとするのは無理なことです。

本来は智慧があってそれを知識で深彫っていくことが学問の楽しさであり、やってみて実践し行動してみて内省し反省し改善することが「コツ」を会得していく使命の活かし方のように思います。

今の時代は、知識ばかりが豊富で知っていることや分かった気になってはそれが安心だと勘違いしている人がいます。不安の解消と絶対安心とは異なるものであり、同じく信じる世界は知る世界とは異なるものです。人はなかなかそれまで身につけてきた知識を手放そうとはしないものですから、感じるチカラはますます減退していきます。

その柳宗悦の日本民藝館に「直感」の大切さについて語られている文章があるので紹介します。

「自然の恵みや伝統の力といった、他力をも味方につけた工人(職人)の虚心な手仕事によって生まれた民藝品がなぜ美しいのかを、柳は「民藝美論」と呼ばれる独自の理論によって説いた。他力の力をも受け取ることによって、はじめて生まれ出るものであると説くこの独自の美論は、仏教の他力本願の思想になぞらえて、「美の他力道」という言い方もされる。なお、柳が生涯をかけて構築したこの仏教思想に基づく新しい美学は、柳自身の美的体験に深く根ざすものであった。柳は美の本性に触れるには、何よりも「直観」の力が不可欠であると説いた。「直観」とは、人間が本来持っている美を感受する本能的な力であり、知識や先入観によるのではなく、囚われのない自由な心と眼によって純に対象物を観ることである。この「直観」の重視は、初期の思索より一貫している柳の最も特徴的な方法論で、生涯にわたる思索と行動の原理となった。」(日本民藝館HPより)

この刷り込みのない無我の境地のすがたは、透徹された素直さによって顕れるように思います。素直さというのは人間の能力でもあります。どれだけ素直に自分が物事を直感できるかは、日々の暮らしの中で感性を磨いていく脚下の精進に由ります。太古の昔から無駄の一切ない完全体の美しいものを直感する感性や、素晴らしいものを産み出す感性は、自然の美意識や自然の活用技術によって会得していくように思います。

感性を磨いていくことはもっとも大切な人間力を高める方法かもしれません。

かつての親祖たちが産み出し創ってきた道具の中に、日本人の中にある感性の原点、自然美を私は感じます。引き続き子ども達に日本の中に遺る自然美、そして日本人の心に宿る美意識を伝承してその魂を譲っていきたいと思います。