白紙に透過する今

昨日は、社内の場をアレンジして古民家風にしてちゃぶ台にゴザ、間接照明を愉しみ望年会を行いました。館山から貝人こと福田さんも参加してくださり、来年早々にある貝磨きにつながる望年貝にもなりました。

有難いことに毎年、写真を振り返り毎月映像化しているトキメキムービーで一年を省みるとこの一年がただ過ぎ去ったものではなく如何に得難い邂逅の日々であったことを再認識できます。仲間と切磋琢磨し初心を忘れずに実績を積み重ねた日々、同じ目的に向かって御互いが支え合い励まし合い助け合い見守り合った日々、その一つ一つが大切な時間と解け合って今に至ります。

御縁を感じるのは、誰と一緒にどのように時を刻んだかといった生き様を振り返るときに強く感じます。そしてそのつながり、その絆の御蔭様にどれだけ自分が救われているかを思う時、はっきりと顕れてきます。

あたりまえではない存在とは一つまた一つと集積する時間の中にこそ住んでいます。それはまるで一生の砂時計のように、上にある砂が狭まった道を通り抜け下に落ちて溜まっていくように、循環しめぐり往く時の中で砂が転じて記憶と解け合い集積するかのようです。残りの人生をどのように使い、どのような砂を積み重ねていくかはその砂が入れ替わる瞬間の此処今この刻にこそあります。砂に思いと願いと祈りを篭めて透過することが一生を生き切るということかもしれません。

時代が変わっても、変わらないのは人間の一生です。

この時代に何を大切に生きるか、この時代にどのような御縁に結ばれて生きるか、御縁を活かすのは自分次第です。誰かに刷り込まれた常識を捨ててみて、思い込みに縛られる自分と別れてみて、頭で考えるのを一旦已めてみて、白紙で物事を観ることが素直になることのように思います。

子どもだったころ、最初はみんな白紙で何でも自由でした。白紙に透過するのが自分の生き様であり生き方です。魂が信じたことをカタチにしていく世界というのは、執らわれないで純粋にどこまでいのちを透徹できるかにかかっているように私はおもいます。

どんな生き方をしてみるとどんな風になるのか、人生実験は飽くなき挑戦の日々です。子ども達に繋がっていくことを忘れず、一念一念を希望に換えて日々を遣りきっていきたいと思います。