実地実行を尊ぶ~中庸~

物事は文字では書けても実践実行することは簡単ではありません。どんなに文字を巧みに利用してさも真実を知っているように教えたとしても、それを活かせないのでは学んでいないのと同じだからです。

二宮尊徳は、文字を重んじず、実行を尊びました。それは実行しなければ何も変わらず、実践しなければ何も積み上がっていくことがないからです。

その二宮尊徳の夜話を弟子が書き取った話の中にこういう話が遺っています。

『ある儒学者が尊徳先生に言った。「孟子はやさしいが、中庸は難しい」と。尊徳先生はこうおっしゃった。「私は、文字の事はしらないが、これを実地正業に移して考える時は、孟子は難しく、中庸はやさしい。なぜかといえば、孟子の時代には、道は行われず、異端の説が盛んであった。だからその弁明をするため、道を開いたのだ。
したがって仁義を説いて、結局仁義そのものの実践からは遠ざかっている。君らが孟子をやさしいといって孟子を好むのは、自分の心に合うためである。君らが学問する心は、仁義を行おうために学んでいるのではない、道を実践するために修行しているのではない。ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それだけで学問の道は足りるとしている。議論が達者で、人を言いまかせさえすれば、それだけで儒者の勤めは果たしたと思っている。聖人の道というものが、どうしてそのようなものであろうか。聖人の道は仁を勤めることにある。五倫五常を行うにある。どうして弁舌をもって人に勝つことを道としようか。人を言いまかすことをもって勤めとしようか。孟子はすなわちこれである。このようなことを聖人の道とする時ははなはだ難道である。容易に実行しがたい。だから孟子は難しいというのだ。』

学問のための学問ではなく、実地実行の学問の方が易しいと言います。孟子は、言葉によって人の道を正した故に難しく、本来の聖人の道は解釈云々よりも難しい道なのだと言います。そして続けてこう話します。

『中庸は通常平易の道であって、 一歩より二歩、三歩と行くように、近きより遠きに及んで、低いとことから高いところに登り、小より大に至る道であって、誠に行いやすい。たとえば100石の収入の者が、勤倹を勤めて、50石で暮し、50石を譲って、国益を勤めることは、誠に行いやすい。愚夫愚婦にもできない事はない。この道を行えば、学ばないでも、仁であり、義である。忠であり、孝である。神の道、聖人の道が一挙に行われるであろう。いたって行いやすい道である。だから中庸というのだ。私が人に教えるに、私の道は分限を守るをもって本となし、分内を譲るをもって仁となすと教えている。なんと中庸であって行いやすい道ではないか。』

それに対して中庸は誰でも実地実行できる道を説いているといいます。自ら分度を定めて、分度内を守りそして分度外を譲ることが思いやりだと話せばいい。それを実行すれば学問のために学問をしなくても、そこに思いやりや真心、忠義や孝行がある。それが聖人たちが実践した道であり、誰にでもすぐに取り組むことが出来るものだから中庸は易しい道であると言います。

実地実行しないで深めていく学問と、実際に実地実行することで道になる学問。本来の学問は、道のために存在するものであり、学問のために存在するものではありません。二宮尊徳はこう喝破します。

「学者は書物を実にくわしく講義するが、活用することを知らないで、いたずらに仁はうんぬん、義はうんぬんといっている。だから世の中の役に立たない。ただの本読みで、こじき坊主が経を読むのと同じだ。」と。

巷ではリーダー論など、自分が実地実行しないのに研修会などでは学者や立場のある人たちが勉強不足だと非難したりします。しかし、自分が実地実行していないのでは道は善く拓けていくことはなく、結局はそのリーダー論も活かせないものをただ教えていることになっているかもしれません。

もちろんそれぞれに役割があり、現場で実行する人があってその教えを広める人があっていいと思いますが、その役割を全部学識だけでやろうとするのは本末転倒のように私は思います。もっと現場の実践者と協力をし、御互いが何を実地実行していくことが本来の道になるのかを協力していくことが本質的なリーダーを育成していくようにも思います。

世の中の役に立つ学問、そして道を弘めるために私も知識学識の慢心を戒め、実地実行を強めて一つ一つ丹精を籠めて精進していきたいと思います。

天の尊爵

昨日、コメントに「矢人豈函人より不仁ならんやと」ありました。これは孟子が矢を造ろうが鎧を造ろうがそれが実際の真心とは関係がないといい、その他、巫女と大工も同じであると言っている一文です。しかしこれを解釈する人は、ひょっとすると自分の仕事は選ばなければならないと思い違いをする人がいますが本来は真心はどんな仕事をしていても発揮されるものです。このたとえ話は、「道」の話をしているからです。

よく職業によって、自分は良い人か悪い人かと思い込む人がいます。職業差別などもそうですが、どの仕事であってもその人の真心が自然で無我であり、天の命に従い純粋であるのならそれは尊いことです。こういう尊いものをいただけることを「天の尊爵」とも言います。

孟子に「夫れ仁は天の尊爵なり。人の安宅(あんたく)なり。之れを禦(とど)むることなくして不仁なるは、是れふち不智なり。(公孫丑上七章)」があります。

意訳ですが、(真心は天が与えた尊い位である。これは徳を実践する人に与えられる安らかな身の置き場である。そうならずに真心があちこちと落ち着かないのは徳を実践しないからでありそれでは智者とは言わないのである。)と言います。

この「天の尊爵」について吉田松陰が孟子の講釈、講孟箚記の中で講義をしています。

「何をか『尊爵』と云う。人、本心を存し、人道に於いて失う所無ければ、仮令一時に屈抑せらるるとも、万世に発揚すべし。俗輩に凌侮せらるるとも、道を知る者には尊崇せらるべし。道を知る者の尊崇は万世に発揚するに足る。固より俗輩の凌侮、一時の屈抑の比すべきならんや。」と言います。

意訳ですが(一体何を尊爵というのか、人は人としての本質を失わず人道に間違わなければたとえその志が何かによって抑えられることがあったとしてもそれは永遠に伝道されていくものです。もしも俗世の大衆に侮られ辱しめられても必ず道を実践する人物たちには尊敬されるはずである。道を実践する人物から尊敬されるのなら、永遠に伝道することには十分である。別に一時的に俗世の大衆に邪魔されても別に一時的なものにしかならならず、決して問題にもならないことなのである。)と言います。

本来、職業というものは伝道について付属するものであり、職業に入るから道に入るのではなく、道を実践するからこそ職業が尊くなるのです。自分が実践せずに、職業だけを転職すれば道の実践者になったのではありません。そんなものは職を失えばあっという間に志も失ってしまいます。本来、自ら道を実践することでそこで徳が自然に顕れ、その徳を高め、徳に報いることで真心は次第に引き立たされてその地位を得るということです。

そもそも「尊爵」は、「尊い位」の意味ですがこの「位」という字は「人が立てる」と書きます。徳が高く実践する人は、周りがその人を立てていきます。尊爵というのは、天の道理に従い、天命に応じて、無我無心、無想無念に一心不乱に真心を実践する中で得られるその人に天が与えた天命のことです。

それは矢を造ろうが、鎧を造ろうが、巫女であろうが、大工であろうが本来は関係がなく、道を実践するものであれば、自ら省みて仁を盡していくのでしょう。

だからこそ吉田松陰はこう言いました。

『自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん』と。

(自分で自分の言動を顧みて天に恥ずかしくないのなら、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも、私は全うするのだ)と。

その大義を貫く真心こそが孟子が言う、「矢人豈函人より・・」の一文の本質であろうと私は思います。

そして孔子は「内に省みて疾しからざれば、其れ何を憂え何を懼れん。」と言いました。結局は、自分の身の置き場に安心するのではなく、自分の心に疚しい気持ちが一点の曇りもないくらい内省することによってはじめて心の安宅は得られるといっているように思います。何をもって安心するかは真心の実践によります。

自分が良い人か悪い人かを自ら裁く前に、自分の真心は本当に天意に従っているか、天命に沿っているかと深く自反慎独していたいと思います。今日の実践を、また真心を盡して執り行わせていただきたいと思います。

 

 

元気になること~有り難しの直受~

かつて岡山に黒住宗忠という人物がいました。この方は、1780年の冬至の日に生まれ、代々神職の家系で育った方です。小さな頃から大変な親孝行で信心深く、20歳の時には「心に悪いことと知りながら行うことがなければ神になる」と念じて、悪しきことを思う事も行わずということを誓ったそうです。

その後、父母が流行り病で7日間の間に次々と亡くなり親孝行だった宗忠は酷く落ち込み自らも肺結核の病を得て臥せってしまいました。いよいよ医師も見放したとき「自分は父母の死を悲しんで陰気になったために大病になった。だから心さえ陽気になれば病気は治るはずだ。せめて生きている間そのように心を養うのが親孝行だ」と気づきを得て奇跡的に回復していきました。そして1814年3月19日に入浴し体を清めてお日様を拝みたいといい入浴の後、縁側に這うように出てお日様を拝みそれをきっかけに年来の病気は全快したと言います。

ここで天命直受され、「有り難し」という天照大御神の真言を得ます。この世のすべては、この「有り難し」を感得するかどうかによる。その真心を「限りなき天照神とわが心 へだてなければ生き通しなり」と詠みます。つまり自分の中の陽気が満ちないのは「有り難し」という一念が天と通じ合わないからであり、病が回復しないのは陰気によってその御心一体になっていないからであるとしました。

「いつも申し上げているとおり、道というものはまことに単純なもので、ただ私の智恵を離れて有難きのみに日を送られるならば、年もよらず、疲れもせず、うれしい面白いのみです。何事もうれしいうれしいと世を渡られれば、うれしいことばかり自然と来るものです」といいます。そしてこう詠みます。「有り難き また面白き 嬉しきと みきを供うぞ 誠成りけれ」と。

日々に如何に「嬉しい愉しい倖せ」と念じるかは、天照大御神の恩徳を感じて感謝の念を忘れていないことに由ります。太陽の真心に通じ合うことは、まるで歌をうたい踊りたくなるような心境であったと言います。純粋に御日様の光を浴びて「有り難い、有り難い」と自然に戯れて活き活きと遊ぶ自然界の生き物たちのようにその陽気を肌で感じ取った宗忠の様子がありありと浮かびます。

その後、宗忠は自分と同じように病で苦しんだ人たちのためにとそこから残りの人生は自分の体験を弘め教え、そして同様に病を得ている人たちのために尽力していきます。

その時のいくつかの逸話には病を恢復した人たちのことが沢山遺っています。

『岡山藩のさる高禄の世臣(せしん)がらい病(ハンセン氏病)にかかり、世間の噂に黒住先生のところでは難病・業病も立ちどころになおるときき、早速宗忠を訪ねて病状を述べ、どうしたら御蔭をこうむることができましょうか、とたずねた。宗忠から、『ただ一心に有り難いということを100遍くらいお唱えなされよ』との答を得たので、それに従って、1週間ほど、毎日自宅の神前で『有り難い有り難い』と唱えた。しかし、一向にしるしがない。また宗忠のもとに出向いてたずねると『一心不乱に1,000遍ずつ』との答。また1週間経ったがしるしがないので、また行くと、今度は「10,000遍ずつ唱えよ。」との答だった。その通り無念無想に1週間、1万遍ずつ毎日唱えていると、7日目に発熱し血を吐いて、疲労の果てに倒れ、そのまま熟睡してしまった。そして翌朝起きてみると、らい病の萌芽の見えていた皮膚は、すっかりなおってきれいになっていた』(「黒住宗忠」原敬吾より)

以前、私も自然治癒を深める中で「100万回の有り難う」を言うと病は治るとお聴きしたことがありました。これも同じく、黒住宗忠の言う「何事も有り難いにて世に住めば むかふものごと有り難いなり」、「有り難やかかるめでたき世に出でて 楽しみくらす身こそ安けれ」の境地を得て病転じて福になるということではないかとも思います。100万回本気で言う人がどれほどいるか、しかしそこに御日様の元気と通じる妙法があるように思います。またこういう話もあります。

『ある門人が「心の底から有り難いという心がどうも起こらないのですが・・・」と相談すると、宗忠は、こう教えた。「たとえまねでも口先でもいいから、まず朝、目がさめると第一に『有り難い』と言いなさい。それからお日様を拝んで『有り難い』と礼拝し、見るもの聞くもの何につけても『有り難い有り難い有り難い』と言っていると、自然とお心が『有難く』なります』

私も、ここ18日間の病を得て一体何の意味があってこうなるのかを向き合っていたところ自分の中に昨年沖縄で出会い、年始の伊勢神宮での御縁、「ツキ」についてのことが繋がっていることにハッと気づかされました。元気がなくなり病が出るのは「ツイテイル」と想えていないほど感謝の心が自分の中で貧しくなってくるからです。

物事は豊富になり願いが成就し、心が満たされ過ぎることで感謝は慢心によって喪失していきます。もしくは得難い感謝を「有り難し」と思わない日々を送るほど、元気はなくなっていきます。日々に自分都合ではなく、天恩の自然の徳恵にどれほどの有り難いを感じているかが「元気」を引き出していくのに深く関わっていることに気づきます。

「有り難きことのみ思え
人はただ今日の尊き今の心の」

病極みにきて黒住宗忠との御縁があったのを、御日様の御心と感じてもう一度、原点回帰して精進していきたいと思いました。御蔭様の実践を、引き続き積み重ねていきたいと思います。

 

 

先祖の生き方~人道格具一体の境地~

先日から包丁研ぎを深めていますが、歴史を辿れば日本刀にそのルーツがあることに気づきます。世界でもっとも切れる日本刀が戦後に失われてから、だいぶ時が経ちました。

それまで当たり前であった研ぎの世界も失われ、そして鍛冶の世界も同時に失われていきました。西洋から、安価で丈夫な大量生産の刃物が輸入され日本の製鉄技術もかつての玉鋼のような材料も失われどうしても外国の刃物の方が丈夫で長持ち、そしてよく切れるというようになってしまったそうです。そしてそのうちお金儲けが第一になり、善いものを造ることの優先順位が下がりますますそれまでの日本の文化であった鍛冶や研ぎは失われていったと言います。

どの時代も買う人たちの心理がものづくりの人たちに影響を与え、ものづくりの人たちの心理が買う人たちの心理になっていくのは同じです。買う人たちが安価ですぐに買換えできるような便利なものを求めれば、ものづくりの人たちもその要請に応えてしまい安物で便利なものをつくります。またものづくりの人たちが金儲けに走れば、買う人たちもまたお金だけのモノサシでものを購入するようになります。世の中は、その時代の使い手、作り手の生き方が道具に顕れてくるのです。

以前、「刃物の見方」(岩崎航平著 慶友社)の中で、「日本刀は平安朝時代のものが最高で後の時代はそれに近づけようとしているだけである」という話を読んだことがあります。もしも昭和の名刀だと威張っても江戸時代だと三流くらいで平安朝時代なら十流か十一流位で刀鍛冶の数にも入らないといいます。そこにはこう書かれます。

「刀に関する科学だけは何も進歩していません。進歩しているのは電子計算機だの、ナイロンだの、ミサイルだの、原子爆弾であって、日本刀に関する科学は、進歩どころか時代が下がるに従って退歩して、今日が一番衰えているんです。だから今の人はもう少し頑張れば、もっと古いところまでは到達できるでしょう」

これは西岡常一さんの宮大工の世界でも同じ話を聴いたことがあります。法隆寺を建てた時代の大工は大変見事であったと、その上で使っている道具や釘もまた最高のものであったと、それに近づくために組み直して学び直していくのだと言います。

先人たちの智慧が如何に優れていたか、そして後人の私たちが進歩と勘違いしている現実をどう見るか。道具や智慧については先人に敵うものは何一つなく、技術が進んで少し似せることができてもそのものになることはありません。

日本刀においては、刀の原料の玉鋼の作り方が今と全く異なるといいます。平安朝時代の刀の原料の玉鋼がどうしても同じように作れないそうです。その時代、どこでその最高の砂鉄を採掘したのか、そしてどのように玉鋼を製造したかが全く分からないと言います。同じように最先端の科学をもって同じように復元しても決して同じにならない、ここに退歩があるということです。

私たちは知識をつけてはあらゆるものを見知ったかのように錯覚します。しかしその分、昔の人たちは非常に鋭敏な感覚と直感をもって物事の本質を観得ておりました。

そしてかつての時代は、売る人も買う人も、そこに深い洞察力や哲学があり、今の時代の価値観のように安価で便利なものを必要としませんでした。そこには崇高な精神や理念があったことは道具が語っています。

時代を超えて新たに暮らしの道具に触れる中で、古民具や骨董、その他の文化芸術の中に、私たちの先人たちみんなの生き方や理念が随所にちりばめられています。なぜ敵わないか、そこには生き方が敵わないのです。

私はその時代の人々の生き方が「かんながらの道」を歩み、その理念が自然への畏敬を忘れずその精神が心魂がブレずに盤石であったからこそ、それらの至高の道具を産み出し扱うことができたのではないかと思います。

人格を道具が超えることもなく、道具を人格が超えることもないのです。自他一体のように、人道格具は一体であるということです。

もう一度、先祖たちが遺してきた偉業を省みつつ、この時代をどのようにしていけばいいいのかを考え直したいと思います。後輩に後人に笑われないないような生き方を譲っていきたいと願います。

子ども達のためにも真摯に学び直していきたいと思います。

心の詩~人生の詠声~

人生を歩んで往く中で、様々な音楽に助けられるときがあります。自分の心情を詩にして音楽を謳うことは、自分の心を見つめる気がして勇気づけられたものです。これは、思い返せばみんな人間はそれぞれに葛藤があり、その葛藤を乗り越えたいと願い頑張っている人を見ると元気がでるからです。

それは「一人ではない」と実感することであり、仲間がいることや同志と心がつながっていることを実感し「絆が一緒であること」に仕合せを感じるからのように思います。

私も思い返せば思春期に「尾崎豊」に出会い、その歌詩に本当に多くを支えてもらいました。その頃は、あまりに純粋で弱くそして理想は限りなく高く、真実を見つめて自分の人生の意味についてもがき苦しみ葛藤していた時の頃です。

今でも尾崎豊の詩を聴き音楽に耳を澄ませばあの頃の心を思い出します。今では自分の子ども心もあの頃よりは少しだけ逞しくなり理想も身近にあり、真実は足元見出し、人生の意味は内省により深まり真心や天命の意味も感じられるようになってきました。どのときの心も自分の心だったし、その心が育ち、尊い今があることを実感すると理想と現実の真っただ中で無二の人生を謳ってきたことを感じます。

人間の「詩の歓びや謳う倖せ」は、「人生を謳歌する中に在る」様に思います。

私たちが今も音楽に心魂を委ね、謳い続けているのは生きている証拠であり、その心がいつまでも発達し発展し続けている証拠です。だからこそ人間は一緒に謳える仕合わせを感じたいのです。

心が感じたことをあるがままに謳いあげるのは、このブログもまた音楽なのかもしれません。

人間が心情を吐露し、純粋さをさらけ出すことは勇気が要ることですがその自分の詩が誰かの御役に立てるのなら生きているうちはずっと謳い続けたいと子ども心は願います。子ども達も日々にそれぞれに自由や平和や愛を謳い、この世に生きようとしますから。

この世に生きた先輩たちの詩はいつまでも子ども達の耳を通して心の奥に遺っていきます。これからも子ども達と一緒に自分らしい詩を、自分にしかできない声でこれからも詠っていきたいと思います。

文化づくりの本質

組織にはどんな組織にも知らず知らずのうちに慣習というものが生まれることがあります。それは暗黙のルールといっていいかもしれませんが、前例主義といって今まであったことが当然のルールのように不文律として存在してしまうことです。

例えば、ある会社では「上司が残業していると帰ってはならない」とか、「お昼ご飯は先輩が先だ」とか、「結婚したら出世できない」とか、「お局さんの言うことは絶対だ」とか、その組織組織において誰が決めたわけでもなく暗黙のルールが存在して組織の健全な成長を阻害することがあるのです。

これは過去に発生した事例をよく確かめもせずその場の空気を読んで勝手に理解することで広がっていくものです。オープンでない職場は、「なぜ」が質問できず、思い込みできっとこうだろうといった推測で噂が広まり変なルールが次々に生まれていきます。

常識などもそうですが、今までの前例でこうだからきっとこうだろうというのは経験することで思い込むものです。参考になる話に「蚤の実験」というのがあります。これは虫かごに蚤を入れても2メートルを飛べる蚤はすぐに飛び出しますが虫かごの上に2分以上下敷きの蓋をして飛び出せなくすれば下敷きを外しても決して外に飛び出せなくなるという話です。これは心理学では、「心理的限界」と言います。

人間も一端、こうだと思い込むとその思い込みをなかなか取り払うことができないのです。かつて上司から怒られたり、誰かが叱責されているのを見聞きし、きっとこうだろうと推察をして、空気を読んで訊くのを我慢することで蓋をしてしまうのです。そしてこれが集団というものの本質なのです。

そういうものが集団に何年も残っていると、それはもう伝統文化のように根づいてしまいます。もちろん、文化は善いものもありますが同時に悪いものも残ります。それをどう時代や環境の変化に合わせて刷新していくかが組織改革のカギにもなるし、自己改革の要でもあります。

本来、暗黙のルールや不文律というものは目的や初心、本質から考えてそれぞれが個々で納得して理解し活かすものです。それが目的や初心、本質が分からないから前例主義になり、もしくは空気を読んで我慢するようになります。

もしも理念や初心があるのなら、このルールはおかしいと思えば自分から刷新すればいいし、理念や初心に照らして守り続けたいルールならばそれを大切にすればいいのです。しかし「何のために」といったことが明確でないから周りの空気を過度に読んだり、今までのことで失敗しないように周りを気にして思い込みのルールに従うように思います。もし理念や初心がないのなら、やはり組織は暗黙のルールや不文律、一般常識や思い込みが蔓延していくと思います。

空気を読むというのは、日本人の特徴であり、それが例えば、嘘をつかない、人を騙さない、困っている人を見たら助けるといった道徳に沿った不文律の暗黙のルールであれば構わないのですが、もしもよくある村八分のように逆らうものを無視したり、追い出したり、いじめたりするものはそれは本来の目的に回帰していないから発生するように思います。

今の時代、社會の価値観も多様化していますからあらゆるものを話し合い、語り合い、オープンに認め合う中で折り合いをつけて御互いが仕合わせになることを優先していかなければ一つの価値観だけで組織や集団を管理することはできず、それで組織や集団の効果を最大限発揮できることはありません。

今は、老いも若きもなく、男性女性もなく、それぞれの持ち味を活かす時代に入ったとも言えます。こういう時代は、暗黙のルールや不文律で従わせるようにするよりも、御互いの違いを理解したうえで互いを認め合ってそれぞれの個性や持ち味をどう活かし相乗効果を発揮するかを考えた方が愉しく和やかに働いていくことができるように思います。

そのためには、まず理念や初心を明確に示し、その中で自分たちでその都度話し合っていくことで豊かなオープンなルール、思いやりやその時々の組織に合った風土が組織に醸成していけるように思うのです。本来、ルール作りというのは正しいことに従わせるためのマニュアル作りではありません。ルール作りというのは文化づくりですから、どのような理念で文化を醸成するかということなのです。

そしてこの文化づくりというものは常に目的に沿って行われることで温故知新してその文化のいのちを維持していくものです。そしてその一番の恩恵を被るのが後人の人たちや子ども達です。後人の人たちは伝統文化に触れることで、理念や初心を確認することができるからです。ゆえに伝統に取り組むということは、文化に取り組むことなのです。

組織の発達と発展の証とも言える伝統文化を創り譲るためにも理念や初心を大切に取り組んでいきたいと思います。

責任と責任感

人が自立をしていくのに責任感というものがあります。責任というものは、よく誰かから押し付けられるものだとして悪いイメージを持つ人もいます。しかし実際は責任は他責される罪や罰のようなものではなく、自分から周りを思いやり自分のできることを自分の持ち場で果たす自責の念が責任感とも言えます。世間でいう責任と責任感は異なるのです。

今は、責任は誰かに取らされるものだという認識からすぐに自己防衛に入り他人ごとのように距離を置いたり、または自分に責任が降りかからないように「自己責任だから」などという言葉を用いて思いやりに欠けて責任を押し付け合って人間関係が殺伐としている状況をよく見かけます。

そしてこの責任という責めと罰を用い、人間を管理する方法は当たり前のように長く用いられてきました。その最たるものに戦争があり、人権尊重しなくても無理に従わせるという手法で組織管理に定着していきました。実際は責任を与えて管理するかどうかが問題ではなく、人を信頼するか信頼しないかということが責任の本質にあるのです。

本来、立場に責任を持たせて管理するという方法はそこに人を信頼するというものがなければ本来の助け合い協力し一緒に目的を達成する自立した組織にはなりません。なぜなら人を信じなくて済むからと管理を導入し、立場やマニュアルを用い責任を押し付けてもそれは主体的に自主的にやっているのではなく外圧という外の力を用いて他律の中で責任を果たしていることは責任であって責任感にはならないからです。

本来は、自主自立、目的を共有し納得し御互いが助け合い思いやる中で、自分が果たす役割を自らで認識し真摯に全てのことを自分事として自律している中で責任を果たすことが責任感を持っているということになります。

そしてこの責任感というものは、教えられるものではなく思いやり助け合う中で育っていくものです。自分が日頃多くの方々の御蔭様で成り立っていること、いつも周りに助けていただいているということ、そういう感謝の心が育ってくることで同時に責任感は育っていきます。つまり責任感が強い人は、人一倍感謝の心も強い人とも言えます。

先日、ある学校である子どもが宿題を忘れたらその同じ班も連帯責任にして罰を与えているということを訊きました。なぜそれをするのかと尋ねると、罪の意識を持たせ責任を教えているということでした。ここでの責任の意味は、罪に罰を与えることであり、自分が悪いことをしたらそれ相応の罰がくるということで責めを負わせ罪悪感を教えています。

本来、責めは負わせるものではなく自ら負うものです。それは罪悪感ではなく、感謝の心から発生するものです。それを責めて負わせるようなことを教えるから責任は持ちたくない、責任は持たされるものだと勘違いするように思うのです。そしてマジメな人であればあるほどその罪悪感が重くなって責任に追い込まれていきます。

昔の教育は、担任が一人で責任を持たされそれを果たすことが責任だという認識がありました。それは信頼というベースがあってはじめて成り立っていたから責任感も持てました。しかし今、不信をベースに責任を持たされるのならそれで責任感が持てるはずがないのです。

だからこそ今の時代は、まず責任感を持てるように思いやりを中心にした組織にすることが必要不可欠でありそれがリーダーの何よりも重要な責務になってきています。社會に信があれば、思いやり助け合いの心で人々は責任感を持ちますが社會が不信に満ちるなら人々は責任を押し付け合います。

小さな組織もまた小さな社會ですから、その小さな社會の在り方を変えていくことで世の中の大きな社會もまた変化していくように思います。

子ども達がいる現場をどのような豊かな社會にしていくかは、一人ひとりの責任感に由ります。そしてその責任感は、思いやりと感謝の心によって目的と初心を定め、理念の実践によって醸成されていきます。

責任感を持つ人が増えることは、思いやりを持つ人を増やしていくことです。子ども達のためにも、新しい組織の在り方を示し仕組みを広げていきたいと思います。

身体と生態系

体調を崩し、改めて気づくのは生態系についてです。私たちの身体も自然が創造した自然の一部ですから、この生態系の道理は自分の内なる身体の中にも存在しています。

例えば、食べる食べられる関係で自然界は絶妙に調和しています。そこは御互いが御互いを活かし合うための共生の世界です。その調和が生態系によって守られていることで自然界は平和に安定しているとも言えます。

もしもそこに生態系が崩れるようなことが起きたなら、あっという間に自然界のバランスは崩れまた調和するまでに長い年月をかけて自然治癒していきます。何か一つの種が絶滅するだけでも、全体に与える影響は大きく、他の生き物がその代用をつとめられる場合は良いのですがそうならない場合は大量絶滅してしまうとも言います。

人間の身体もこの自然の仕組みは働いているとも言えます。

腸内細菌をはじめ、皮膚常在菌、またはあらゆる場所に何兆という数の微細な生き物たちが生息して人間の身体を活かしているとも言えます。つまり私たちは内なる身体の中に外の自然界と同じような生態系を持つのです。

その生態系は、そのまま外の自然とつながっていて外の自然の延長線上に内なる自然はあります。今は清潔に除菌殺菌し、あらゆる外界の自然を汚いものだとして排除していますが本来は外にある自然と繋がって内なる自然があるのですから生態系は結びついていたともいえるのです。

その関係を断ち切って、あらゆるものを消毒して清潔にし過ぎていたら内なる生態系も変化してしまいます。一昨年、サナダムシを敢えて自分の身体に取り入れ「キヨミちゃん」という名前をつけて共生しているという寄生虫学の藤田紘一朗博士がいることを知りました。その方は、身体で共生しているサナダムシの御蔭で花粉症にもならず中性脂肪もおちて健康になったと言います。

寄生虫を体内で育てるに至った経緯についてはこう語ります。

『排便の流れる川で子どもたちが水遊びをし,その水で炊事や洗濯をしている。実際,調査すると全員が回虫にかかっている。ところがですよ,我々から見たら,そんなバイ菌だらけの汚い生活をしているにもかかわらず,子どもたちの表情はみんなはつらつとしていて,肌もつやつやと黒光りしている。その上,アトピー性皮膚炎,花粉症,気管支ぜんそくなどのアレルギー疾患の人がどこを探してもひとりもいない。当時,日本の子どもたちにアレルギー疾患が増えだし,奇病として注目され始めた頃です。「これは回虫がアレルギー抑制に関係しているのでは」と直感的に思ったんです。』

そして「寄生虫や微生物がいない清潔過ぎる社会は、逆に不健康である」と言い切ます。

今回の急逝扁桃炎という病を得て、如何に免疫が大切であるかを実感しました。結局は免疫が下がるとそれを補うために自然治癒としての病気が発生します。そこからまた生態系のバランスを恢復させようとするのです。

自然の生態系を崩すような都市型生活スタイルを続けていれば自ずから免疫というものは低下していくのです。本来の免疫を高めるような自然に沿った生活スタイルと既存の今までの都市型生活スタイルとのアンバランスが今の身体の状況を造ってしまっているような気がしています。

これは自然か不自然かではなく、如何に中庸調和を維持するかは日頃の身体との対話に由ります。現代社會の都市化された中での生活と、田舎での生活の折り合いをどのようにつけて自らの内なる生態系を見守っていくか、、、まだ答えはでませんが今回の御縁をキッカケに改めて向き合ってみようと思います。

子ども達が将来、生態系が消失し多様性が存亡しなくていいように今の自分たちの世代で未来のことを心配した行動を一つでも多く残したいと思います。

美味しい切れ味

もともと日本では包丁という言葉を料理とし、料理する人を包丁人と呼ばれてきた記述が鎌倉時代の記述に遺っているそうです。これらの料理の定義は「切る」という文化であり、この「切る」という技法が、日本料理の原点であり、生ものをはじめ、新鮮なものを新鮮なままに料理する感覚の世界を大切にしてきたとも言えます。

日本料理で割烹とありますが、これは「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」であり材料を切り割いてそのまま食べる生ものが主で、煮たり焼いたりするといった火を使う料理は従であるという考え方のことです。

それだけ「切る」という技法は、日本料理の代表的な文化です。そしてその「切る」ということを可能にしたのが日本刀であり、和包丁なのです。これは世界でみても、とても珍しい調理法で日本には新鮮な山の幸海の幸が豊富にあり、その「いのち」を傷つけないように壊さないようにとそのまま料理することに重きを置きました。

物のいのちを観るだけではなく、すべての生きとし生けるものたちのいのちを大切にしてきた日本人だからこそ、ただ食べるではなく、神事として食べるということを行うからこそいのちを尊んできたように思います。

今の時代は、腹を満たせればいい、慾で食べられればいいと、飽食の時代ですから食べ物も粗末にされ、あまりそれらの料理に「切る」ということの美味しさを実感する機会も少なくなってきましたが、昔の人たちは実家のよく研ぎ澄まされた和包丁を用いることで「美味しい切れ味」を知っていたように思います。

切れ味次第で、美味しくもなればまずくもなるという感覚世界を知っていたということでしょう。今は切れ味といっても、通じない世の中になりましたが本来の切れ味が分かるからこそ物の尊さ、味の美しさを知るのでしょう。

料理を今までもたくさんしてきましたが、この「切る」ということが料理であるという定義ははじめて知ることができました。日本人の料理に対するこだわりが、一体何と通じているのか。改めて、先祖たちの産み出した道具のすべては一つの理念から出来上がっていることに気づきました。

子どもに遺していきたい道具、子どもに譲っていきたい道具とは何か、これから道具を発明するときの大切な姿勢を学び直していきたいと思います。

包丁の文化

包丁の文化一つとっても西洋と日本とは異なる考え方があります。切れ味を重視する和包丁に対して、西洋は柔らかくて耐久性があるものが重視されます。切り方においても、日本は肘を使ってすっと引きながら切るのに対して、西洋の包丁は肩の力を使って上から下に押し切るという具合です。その特徴に、日本ではりんごを切るのに薄く切ることができますが西洋ではりんごを割る様に切るのです。昔、りんごは切った直後の酸味が美味しいと言われていたそうですが、あれは日本の包丁の切れ味が如実に表れたものだと言われているそうです。

それにもしもまな板に対して、上から下に押し切る、引き裂くのであれば包丁はまな板とぶつかり対峙してしまいます。それではまな板も包丁もすぐに傷んでしまいます。しかし日本の包丁はまな板を傷つけず、肘をひいて切るだけですから最短距離でそのものを切っていきます。

食文化としてももともと肉を中心に食べて、叩き割り切り裂くという使い方をしていた文化圏と魚を中心に野菜など切れ味を重視してきた民族の違いにもよります。特に日本は日本刀があり、西洋の剣サーベルとは違って力で押し切るよりも、切れ味で切るという考え方です。押すチカラではなく、引くチカラを用いるのが日本人とも言えます。

これは自然に対しても同じく、自然に対して押して勝とうとするのではなく自らの方が引いて克つ、つまりは応じて従い、準じて委ねて、自然を畏敬し自然を優先しつつも、分相応に分けてもらうという発想です。

永く持つということの定義も、西洋の耐久性はとにかく固く強いものということでセラミックやダイアモンドセラミックの方へと包丁も発展を遂げています。決して刃が欠けない包丁というものも今では市場では人気があるようです。

しかし日本人の包丁は、切れ味重視ですから砥石で研いで最後まで使い切ることが長く持つという定義になっています。

文化というのは、包丁一つに顕れてきますから先祖たちがどのような道具の使い方をしていたかは包丁一つから観えてくるものです。子ども達のためにも、先祖たちが大切にして来た真心を伝承していきたいと思います。