民間療法の本質

今回、民間療法を試していく中で一つの発見がありました。この民間療法は日頃取り組んでいる自然農と同じで、もともと備わっている自然治癒を援助し支えるやり方で行われていたということです。

現在の西洋の薬は確かに緊急時には必要ですが、病原体にだけに対してだけではなく同時に身体にも影響を加えてしまいます。副作用があるということは、病原体を攻撃するために多少の犠牲をはらっても手段を選ばずに薬で殲滅させようという考え方です。

それに対して古来から伝わる先祖たちが伝承してきた民間療法は、もともと身体には自然治癒が備わっているためそれをどう発揮できるように手伝うか、また援護するかという観点で薬を用いています。そのため副作用はありません。

例えば、喉の痛みについては「はちみつ大根飴」や「緑茶のうがい」、「生姜茶」の療法を用いましたがこれは扁桃腺で自助免疫が外部からのウイルスや細菌の侵入を防ごうと攻防を繰り広げています。その時、はちみつが抗酸化作用で殺菌を助け、緑茶のカテキンが同じように殺菌をし、大根が炎症や痛みを和らげ、生姜が体温を中から暖め免疫が活動しやすくなるようにと援護します。

つまり古来の薬はすべてにおいて自然治癒を「援護」するものであり、病原体を倒すためのものではないということです。これは人間にはそもそも自然治癒が備わっていると信じられており、その自然治癒が働きやすいようにと配慮しながら暮らしてきたのです。

これは自然農も同じで、作物その物のもつ育つチカラを邪魔しません。どうしても外敵に負けそうな時だけ、援護します。するともともと持っている元気が出てきて、逆境を撥ね退けて負けそうな時よりもずっと強く逞しく活き活きと育っていきます。その生きるチカラ、その元気溌溂さを見るとき、実は逆境は善いものだと信じさせるものです。

人間の身体も同じくもともと持っている元気がでなくなったのは自分の自然治癒力を信じず、西洋の薬に頼りますます元気がなくなってしまっているように思います。これは薬だけに限った話ではありません。何でも目に見えて効果がありそうなものに飛びつき、本来の自分自身の中にあるものを信じようとしなくなっているようにも思います。自分の免疫で治すことは確かに信じるチカラが必要であり、治るかどうかが分からない状態で苦しみが続くのですから調子が悪いとより不安になるのは仕方がないことなのかもしれません。

しかし見方を転じてみれば病気になってしまった原因を見つめるよい機会でもあり、苦しみを受け止めてそれを民間療法を用いて恢復ができるのなら自然に身体は以前よりも益して元気が漲ってくるように思います。

最後に整理すると、自然に沿って治そうとするものが民間療法であり人工的に意図的に治そうとするものが現代医療といっていいかもしれません。先祖たちの伝承された民間療法を試していたら、先祖たちが如何に自然に寄り添った暮らしを永い期間ずっと行ってきたか、そしてそれが如何に優れて素晴らしかったものなのかを身体で感じます。

自然を征服することができても果たしてそれが幸せなのかどうかは疑問です。自然物の一つとしての人間なのは自明の理なのですから、自然物のチカラが自分に具わっていることを自覚することの方が信じるチカラを得て自然一体に安心できるように思います。

子ども達のためにも、自然農と同じく民間療法としてのものもできる限り掘り起し探し出し少しでも多くのものを伝承していけるよう生き方を遺していきたいと思います。