指示命令とマネジメント

世の中の状況は、かつて右肩上がりと言われた何をやっても収益が上がり拡大成長した時代からバブルが崩壊し右肩下がりになり低空飛行のような状況になっているともいえます。そもそもバブルというものが本来はおかしな状況であり、いつまでもそれが続くこともなくまたそれが訪れるという幻想もあるはずがありません。しかし右肩が上がりで成長していくという幻想はいつまでも刷り込みとして教え込み、教育や仕組みも戦後のものがほとんど変わらずにそのままです。

例えば組織では、個を強くして個をできるようにと育成してきました。一人の力で何でもできるようになるようにと指導し、組織に入れば役割と責任を与えました。そしてリーダーになるか、リーダーを支えるためにサポートするかという選択を決められそれに従うという方法です。

そこには主に指示をする人と、指示を待つ人という2つに分かれその思考もまたピラミッド構造になってしまいます。管理し管理されるという考え方が沁みこめば自分で考えて主体的に行動するということが分からなくなってしまいます。

管理されることを当然と思ってしまうと、そこには指示と命令がなければ動かない人になってしまいます。指示と命令する方も、指示と命令しなければ動かないと思い込んでしまいます。それが組織の価値観となってしまいます。

今の時代は多様な価値観を持ち、一人ひとりの個性を如何に発揮して衆知を集めて問題を乗り越えていくかといったことがどの組織でも求められます。つまり本来の組織の強みを活かすように原点回帰しているとも言えます。そこでは指示や命令ではなく、「協力」することで御互いの持ち味を活かすマネジメントが採用されます。当然、人が集まるのですからそれぞれが怠らずに自分を活かして貢献できれば組織は成長し続けます。

しかしこの管理型の教育を受けて指示と命令の刷り込みを持っている人が急に個々の主体性を発揮して協力し合うマネジメント型の組織に入ってもすぐに動くことができません。例えば情報共有の仕方などがすべて変わって来るからです。指示で動いてきた人は、事前に情報共有などはあまりする必要はなくそれは指示する人の問題であり命令を待てばいいのです。しかしもしも命令も指示もしない組織は、御互いに最初から一緒に情報共有を続けなければなりません。情報共有をしなければ、御互いの持ち味を活かすところまではいかず空気を読むか指示命令を待つかになってしまうからです。

他にも一人でできることを良しとして育ってきた人は、周りと一緒に仕事をすることがあまりできません。管理され役割と責任を持たされるとその持ち場のことはきっちりとできるようになるために努力をすることを学びます。しかし主体性を発揮し協力する組織になると一緒に仕事をすることが重要になります。例えば、このプロジェクトは誰とやった方がいいか、この場合は誰の持ち味が活きるかというように常に思考は主体的になります。

指示命令で育ってきた人はこの持ち味というものが分かりません。同じことを他の人と同じようにできることを優先し、歯車の一つになりできなければ取り替えるということを良しとする組織観というものの中では個性や持ち味というものは邪魔になることもあるからです。

この組織が変わるというのは言い換えれば生き方が変わるということです。今までと別の組織観の中に身を置くには自分自身がその組織観の生き方に転換していく必要があります。それは身の置き所を単に変えればいいのではなく、自分の生き方そのものを変えるという転換作業が必要になるのです。

理念を中心に何を優先しているかを自覚したら、パッと自分の方を変えていくことが出来る人が柔軟性がある人です。学び直しができる人は常に今までの方法に固執せず、ゼロベースで学び続けていることで可能になります。

引っ張る率いるという方法ではなく、協力し衆知を集め持ち味を活かすという方法をとるのは時代の流れでもあります。

自分ができないことが悪いのではなく、誰と一緒にやった方が持ち味が活かされるか、これも一つの発想の転換です。保育や教育、経営は一つのマネジメントです。引き続き、組織マネジメントの刷り込みについて深めていきたいと思います。