本質的な関わり合い

昨日、訪問したお客様のところで素晴らしい御話をお聴きすることができました。ここは、土台に仏教の基本理念を持ち全職員が仏教保育の実践を通して自らを高め磨いている保育園です。もう9年目に入りますが、一緒に目的を共有し学び合いを続けていると何が本業なのかを思い出されます。単なるビジネスの関係ではなく、お互いに共通の目的に向かって手を取り合って助け合っているのです。

本来、何のために行うのかを考えた時、それぞれの施設や事業には目的があり、その本質である目的を確認すればその理念や初心が分かります。同じ保育園という施設やその保育事業であったとしても何のためにやっているのかがそれぞれに異なるのだからその本質も異なるのです。

例えば、地域貢献のためにという理念であったり子ども一人ひとりを尊重するという理念であったり、それぞれに目的が異なります。そしてこれはそこで働く一人ひとりの目的とも関係します。人間は、自分がやりたいことを持っていて本質的にその人がやりたいことに近いところに近づけば仕合わせを感じることが出来るように思います。

同じ理念を共有できる人が、仲間になり同志になり戦友になったりして深いご縁を結び互いに切磋琢磨して学問を励まし合い心を磨き合うのもまた同じ目的な理念を共有することができるからです。本来の目的を忘れていない人は、何をその人たちと一緒に行っているのかという本質から離れることがないから楽しいのです。

よく何がしたいのか分からないという人がいますが、何のためにを考えていないと目的から離れるから物事の本質が観えなくなるとも言えます。目的から離れる理由は、責任を負ってしまうことや失敗を恐れる不安から感情が先に入り、そのものの目的を明らかにしないような選択をするからでしょう。目的を忘れず常に本質を求めている人は質の高い判断をして自らを磨いていきます。何のために行うのかは全ての行動の基礎であり、その基礎があってはじめて判断や選択が目的に対してブレなくなるように思います。人は責任感を負わされるし失敗したくないから働くのではなく、本来は使命感で理念や目的のために働くことでその仕事の質は上下します。

本当に善い仕事とは何か、それは単なる業務業態がどうこうではなく何のためにやるのかを片時も忘れずにそこから使命感で働くことができているから質が高いのです。本物の仕事や、プロフェッショナルと呼ばれる一流の仕事は本質や目的から離れません。そこに自我や感情に呑まれては仕事ができませんから、常に本質を見極めて素直に本当のことに対して勇気を出して行動していくように思います。

本来、子どもはクニの宝です。そして子どもが未来です。その子どもたちの周りの大人たちがどのような生き方と働き方をするか、そこから子ども達は方向性を学びます。そして私たち大人も子ども達を信じ切り、子ども達のお手本になるように精進することで未来に真心を譲っていくように思います。

何のためにやるのかは日々の主体的で積極的な実践を行うことでブレなくなります。目的意識は使命感ですから、日々に使命感を高め挑戦させていただけることに感謝し、いただいている御縁を全て活かしていきたいと思います。