形骸化の意味

形骸化という言葉があります。これを辞書でひくと「誕生・成立当時の意義や内容が失われたり忘れられたりして,形ばかりのものになってしまうこと」(大辞林)とあります。

形骸化というのは、そのものの本質や実体が別のものに変わってしまうということです。目的意識をなくしてただやってるだけのものは、形骸化であって本質的ではありません。よくマンネリ化という言葉もありますが、なんとなく続けているうちに何も変化がなくなってただやっているだけということも形骸化の一つだと思います。

これらのことは質の問題であり、質を求めることをやめた状態とも言えます。何のためにやるのかを忘れる人は、物事をすぐに形骸化させていきます。主体性というものは、自ら積極的に本質を深めていきますから主体性が喪失してくると形骸化するとも言えるのです。

如何に形骸化しないか、それは言い換えれば如何に活性化するかということですがそれは常にスクラップアンドビルド、日本語では温故知新し続けていかなければならないのです。

改善という言葉もありますが、これはやってみたことをフィードバックしてそれを改善していくことです。よく勘違いしている改善は、先に計画を立てて計画に合わせて修正していくことを言いますがこれは改善の本質ではありません。改善は、まるで植物や野菜の種を蒔いて育ててみて一通り終わってからそこから蒔き時や収穫時期、草刈やその他の寄り添いなどを全て観直しそれを次の年、また次回に反映させていくことです。

つまり自分の思い通りにいかないのを修正するのが改善ではなく、次回に向けて謙虚に見直しをかけてそれをまた新たに挑戦していくことが改善なのです。本来の改善は何のためにあるか、それは常に目的が本質から外れないようにあるのです。

それが改善を怠り目的が本質から外れたらすぐに人間は形骸化をはじめマンネリ化が進みます。そうするとわけのわからないまま意味のないままの業務が増えていくだけですから業務省力がまったく進まなくなるのです。本来の業務省力は、本質を維持するための改善を続けて革新を連続していくことです。そのために、フィードバックは欠かせない大切な実践になり、それを行うことで次への課題が明確になり改善が進み本質が維持されるのです。

何のためにと行動する人は、業務省力が出来ている人とも言えます。世の中、業務過多になれば心が忙しくなり、丹精が籠りにくくなります。そうやって仕事を増やし続けていたら大切な本質までも見失ってしまうかもしれません。

子どもの仕事をするからこそ、常に本質からブレない実践を積み重ねていきたいと思います。