里芋~古里の芋づくり~

今年は福岡の自然農園の田んぼで継承米と古代米、ご縁新たに深まってその隣で里芋を育てることになりました。もともと日本人がずっと食べてきたものが何か、それをもう一度学び直していますがどれも暮らしに欠かすことができない仲間たちです。そして主食というものは特別なものであり、私たちがずっと生きる上でもっとも永く食べてきたものです。

この里芋というものは、縄文時代より以前、紀元前一世紀頃から私たちが主食としてきたものです。稲作がはじまったのが弥生時代といわれていますから、それ以前は糖質をたっぷり含んでいる主食して里芋はとても大事な食糧として重宝してきたのです。

この里芋の原産地は東南アジアから由来したもので、 水湿地にて繁殖していた品種を中国南部で栽培し、それを人間が常食化したことで南太平洋、インド、東南アジア、中国、日本に人の流れとともに伝来してきたと言います。日本にはそれまで山で収穫できる「山芋」(自然薯)がありましたが、それを里によって栽培するという意味で「里芋」(タロイモ)と名付けられたと言います。

この里芋は農耕儀礼として多く用いられ、例えば十五夜は芋名月とも呼ばれ昔は御餅ではなく里芋を神様にお供えして収穫祭を行っていました。ちょうど収穫をする時期に、月夜を眺めながら冬を越す主食がしっかりと収穫できた安心感を思いながら苦労を労い感謝をする。こういう暮らしの中に里芋はあったように思います。また芋頭は人の長に立つ頭の義とされ、子孫の繁栄を象徴する縁起物とされてきました。

また里芋の栄養素は水分以外のほとんどがデンプンでできています。そのため他の芋と同じく加熱すればするほどに美味しくなり消化吸収を助けます。その他にもビタミンB1、B2、ミネラル、食物繊維、特にカリウムが豊富で免疫を高め高血圧予防に役立ちます。

当時は、里芋を葉でくるんで蒸し焼きにして食べていたそうですが今年の収穫が無事にできたら試してみたいと思います。今では「おふくろの味」と言われることが多いという里芋、もしかすると太古の昔からお母さんが子どもに食べさせてくれていたからかもしれません。思いを馳せれば、その当時の先人たちの暮らしを偲び懐かしく思います。

今年は水田での里芋作りははじめてですが、本来湿地で育ってきた種ですから元の場所に還すつもりで寄り添ってみたいと思います。