何のため

何かに関わるときや、大切なことを決めるときにそれが何のためかという自問自答は何よりも大切なことです。方法論ではなく目的の確認というのは、御互いに必要なことで方法論に終始してしまうと目的から離れていくものです。

そもそも目的というのは、その初心や動機でもあります。そういうものを知ることをやめてしまい、それぞれの専門分野で好き勝手話していたとしても本来何のためにそれをやるのかを議論していなければ単なるそれは方法論ということになります。

例えば、やり方や方法というものはこの世には無数にあります。それは宗教から科学、または研究などありとあらゆる分野でそのものの真理に辿りつこうとするものです。しかし真理を知ったからといってだからどうなることではなく、その真理を知るのは何のためかというのが何よりも大切なことのように思います。

現在、知識社会ともいえる知識によって優劣をつけている時代ともいえます。大学をはじめ知識の長ともいえるそういう学術機関には知識が溢れるばかりに満ちています。そしてその方法論についても満ちています。人は知ることで方法論を使い便利になったとしてもそれを活かすとなると目的が何よりも重要になるのです。

以前、ある方が「知識を必死に蓄えていたのは楽をしたかったから」という話を聴いたことがあります。体験をせずに済み、体験をしたことを知れるから学んでいたと言います。これこそ何のために学ぶのかということがなくなっていることに気づきます。

知識を詰め込まれて知識があるから分かると錯覚してしまうと、体験よりも知識ばかりを持とうとするものです。そして知識は方法論ばかりを求めては膨大な量のノウハウや事例を体験もしていないのに知っています。食べたことがないことを食べる前に知っているから食べないといい、やってみたことがないのにやったらどうなるかについて議論します。おかしな話で、知識をもっていない幼児の子ども達の方がどんどん楽しそうに取り組んでいきます。楽をしたいから知識で済ませようとはしないものです。

何のためにというのは、物事の根幹です。

学ぶ理由も今では反転して学ぶことが本来の学ぶとは異なっていることが常識になっています。人がやったことがないことでも果敢に挑めるのは、そこに目的がはっきりするからです。何のためには生き方と通じているし、道と繋がっています。

引き続き、本来の目的意識を忘れずに日々に本質を自問自答し子どもたちのために活かしていきたいと思います。