家とは何か

昨日からクルーのみんなと一緒に新潟の弥彦村に来ています。弥彦神社に参拝し、宝物館をはじめ百年以上続く古民家を見学したりと「いにしえのえにし」を直感しながら過ごすことができました。

私は初代当主を名乗った数年前から「家」とは何かと考え続けています。歴史を鑑みて代々家が繁栄し続いていくところと、すぐに家が廃退してしまうところがあります。その違いは一体何か、それを見極めるためにも古きよきものに触れ学び直しています。

今回は少し今まで気づいたところまでをまとめてみようと思います。

永く続く家というものは、徳がある家とも言えます。代々、徳を高め徳を譲り徳が遺るものが永く続く家の特徴です。家が廃退するというのは、目にはみえない徳が廃退することに似ています。如何に自らに与えられた徳に気づき、その徳を活かすか、そしてその徳を伸ばしていくか、それはその代の生き方に懸っているとも言えます。

そして今の自分の徳を思うとき、その徳はどこから来たものか、それは先祖の丹精であることに気づきます。ご先祖様の皆様が、その代その代をもって一生懸命に世のため人のためにと自分のいのちを周りに役立てていたとも言えます。その苦労がみのり、今の代に種から芽が出て花が咲くように繁栄が訪れているとも言えます。

以前、幸田露伴の幸福の三福のことをブログで書きました。徳とは福のことで、福を如何に使い切らないかということが書かれていました。同じく徳を如何に使い切らないか、言い換えるのなら如何に自分が日々に徳を積み続けていくかということです。そういう徳を重んじる生き方、二宮尊徳はこれを報徳とも言いましたが先祖の御恩に感謝し、先祖の徳に報いるように自分の代を盡していくことが継承していく真理であろうと思います。

そして家とするとき、もっとも大切なことは「火を絶やさない」ということだと私は思います。その火とは何か、火は一つのもので謙虚と傲慢を顕します。人が己に負け傲慢になるとき、その欲望が業火の如く顕れ焼きつくしてしまいます。しかし人が己に克ち謙虚になるのならその火は、世の中を光り輝かせ照らす美しい火となり心を癒していきます。

比叡山延暦寺の国宝根本中堂に1200年絶えたことのない火があると言います。常に菜種油に4~5本の芯をつけ火が灯り続けています。この油を一瞬でも絶やせば火が消えることから ”油断するな” という語源が生まれたそうです。

この「油断するな」とは、いったい何を油断するなということなのか。

それは初心に対する情熱を決して絶やすなということだと私は思います。家の存続は、この「油断するな」の一言に尽きると私は思います。どんな時も、理念や初心を忘れずに日々に実践し続けることを怠らなかった家は何百年何千年と火が絶えません。

火は己自身ですから、その火を消すのも灯すのも自分次第です。

家を守る人は、どんなことがあってもその火を守り続けていくのでしょう。血筋がどうこうではなく、火を守れるかどうかが当主の資質です。未来の子ども達のためにも、1000年、10000年と続く家を興せるように真摯に今生と向き合っていきたいと思います。