進化を捨てるというツケ

現在、古民家を再生していますが現在の建物を建てた当初の時代に一度戻して直しています。日本人の暮らしを再生していく上で、最初はどのようであったのか家と対話してくために必要だと私は感じています。

これは自然農の時も同じで、最初はどうなっていたのか自然はどのようにしていたのかを知ることでそれまでの歴史を洞察していけるからです。何でも突然今こうなったのではなく、永い時間をかけてじっくりと変化してきたものがあります。変化といえば急変することばかりを変化と呼ぶ人もいますが、本来の変化とはじっくりとゆっくりと微細に行われていくものです。

古民家再生の中で明治から昭和にかけての小説家、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」(いんえいらいさん)はとても参考になります。日本家屋の持つ「陰翳」はありとあらゆる空間を恢復するのに必要になります。私の勝手な洞察ですが、本来日本人は縄文時代をはじめ森の中、土の中に家屋がありました。

原始の家は、木を組んで蔓で縛り三角形にしてその中心に炭と火を焚いて藁で囲っていただけのものでした。薄暗い中で火を囲み、一家団欒したところをはじまりとしたらこの陰翳というものはその頃から続いてきた懐かしい暮らしの一端なのかもしれません。また山の中に入ると木々の木漏れ日や朝夕の杜の闇に陰翳を感じます。神社や家屋にこの陰翳が用いられるのは、太古から続く私たちの生き方に触れ安心するのかもしれません。

今の時代は、急速な西洋化が進み家屋をはじめあらゆる環境が急変してきました。例えば、気候も風土も事なる北半球の家屋を真似てビルやマンションを建てていますが今まではそのようなものはありませんでした。私もヨーロッパに留学経験がありますが、光がいつも斜めから差し込み暗かった記憶があります。建物を大理石やレンガでつくるのは寒さをしのぎ町を明るくするためだったようにも思います。ステンドガラスなども光を効果的に屋内に入れるための工夫だったのでしょう。また街灯をどこでも明々と照らすのは長い冬の夜の鬱々とする気分を吹き飛ばすためだったようにも思います。ヨーロッパの人が暖かく明るい場所にバカンスにいくのもその冬の陰気を少しでも和らげるためだと聞いたこともあります。

日本はそれとは対照に、いつも太陽が真上から差し込んできます。夏の暑さも上から下から暑さに挟まれ日陰がなければずっと外にいるのは本当に大変です。日本家屋はその熱や湿気が篭らないようにあらゆる工夫を凝らしています。土が下にあり木が上にあり水と火を上手に取り入れるのもこの湿気の多い風土では効果的です。また行灯のように小さな明かりを用いるのも昼の強い光と対照的な暗闇を味わいたいということもあるように思います。西洋は光が乏しくピカピカに光る光が好きなのに対し、私たちはこのピカピカに光るものが苦手であるとも言えます。それよりも穏やかに差し込んでくる杜の中のような和やかに重なって連なる光を見ると安心するようにも思います。

これはもともと異なる民族、風土が変わっているから異なるのであってそれを全て西洋が進んでいると右に倣えで換えていたら次第に風土の自然から離れてしまうのかもしれません。

谷崎潤一郎の著書、「陰翳礼讃」の中で「年寄りの愚痴」という項目があります。そこには次第に年寄りはいらなくなってくような時代の変遷に愚痴をこぼしている一節があります。

「要するにこれも愚痴の一種で、私にしても今の時勢の有難いことは方々承知しているし、今更何と云ったところで、既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより外に仕方がないが、でもわれわれの皮膚の色が変らない限り、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこう云うことを書いた趣意は、何等かの方面、たとえば文学藝術等にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。」

谷崎潤一郎の「損」というのは、それまでの暮らしを全部捨てて西洋化することは損なのだと言います。言い換えるのなら、合うものを捨てて合わないものにわざわざ合わせようとする損のことです。

本来、私たちに「合う」ものがあったのにも関わらずそれをまるっきり捨てて西洋の新しいものだけが価値があると信じてしまうことにより私たちはそれまで進化させてきた発明や発見をゴミ屑のように捨て去ってしまったことによる損が発生しています。ここで捨ててしまったかつての「進化」は、今の世代がそれを子孫に譲らないでいれば大変な損害を子孫へ渡してしまうということを忘れてはならないということです。

そこで谷崎潤一郎は最後にこう言います。

「私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」

こんな時代であってもせめて「一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。」ということですが、私がやっていることもこの願いと同じことを実行に移しているだけなのです。子ども第一義の理念を省みればいつも子どもに何を譲り子どもに何を遺せるかを考えない日は一日もありません。進化を捨てるツケは必ず子ども達にまわるということを先祖になる私たちはちゃんと考えていかなければなりません。

自分たちの生き様、つまりは生き方働き方が子どもの未来に伝承されていきますから何が自然で何が不自然か、間違わないように真摯に今を温故知新して精進していきたいと思います。