人類の先生

先日、浦河ひがし町診療所で川村敏明院長の御話をお聴きする御縁がありました。ここは浦河町の中で「べてるの家」と連携して一心同体になって町全体を見守る仕組みを担っている病院です。世の中では対処療法で病気だけを見る人もいますがこの病院では常に根源治療の方を優先している気がして、先生も自ら「治さない医者」だとし、あくまでその人の人生そのもの全体をみんなで丸ごと見守るという姿勢にとても感動しました。古来からの御医者様の生き方を現代に見た気がして、胸に込みあげてくるものがありました。

先生の御話は、すべて今までの常識を覆し発想の転換で病院を経営しています。そもそも病気が悪いものではないという起点に立っていて、病気の御蔭で人生がよくなっていくという視点で患者さんの人生のチャレンジやその人の主体性を見守っていきます。

かつては川村先生も大病院勤務の頃はやっていたのは患者の為ではなく単に自分のためだったと仰り、今では「医者がすべてではない、私がなければだれがやるとなっていた。仲間の御蔭ですとか、周りの御蔭とかの方が良いとした。医者は限定的でいい。」と言い患者の主体性を大事にした治療に転換されています。

患者さんの浮袋になるのではなく、患者さん自らが泳げるようになるようにと患者さんを大切にするだけではなく患者さんが世間や社會に帰り安心して暮らせるようになる方を治そうとされています。

私達が子ども第一義で実践することもまったく同じことです。何をもって子どものためというのか、ここでは川村先生の仰る何をもって患者のためかということ同じです。

私達が子どものためにというのは、子どもが安心して暮らせる社會を治すことに他なりません。そのためには、一人ひとりの生き方を換えていくしかありません。一人ひとりが持っている持ち味やその人本来の魂を如何に見守るかは、自分の生き方や実践を通してしか弘めていくことができないからです。

私が今回、もっとも学んだことは「弱さ」の持つ「豊かさ」です。弱いということは如何に豊かなことか、これは自分の本心をさらけ出すことだったり、自分の駄目だと思うことを周りに伝えることで帰ってくる信頼、仲間に出会えることです。

一人で頑張っていてもこの豊かさはありません。手に入れた強さと共に失った弱さが貧しさになりその人の苦しみが悪いものになっていきます。だからこそ弱さを絆に換えていくために弱さをさらけ出すことが仲間を信じることであり、真の自立や共生に繋がるのではないかと私は感じます。

最後に、今回のご縁でまた二宮尊徳に纏わる逸話を思い出しました。

『医者には、大医、中医、小医がある。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す。また大医は、その人が生まれた時から死ぬまで、健やかに豊かにその人の生涯を安心立命に過ごしていくことができるように見守る医者のことを言うのだ。』

本物の医者は、本物の教育者でもあります。医者も教育者ももとは一つ、人類の先生であるということです。

今のような時代、心を病み魂を亡くして苦しみが増えているからこそ義憤と慈悲をもって人々に愛を伝道していきたいと思うのです。

日本の各地には同じような生き方を貫いている人たちがたくさんいることを知り、有り難い気持ちになりました。ご縁に深く感謝しています。

引き続き、子ども第一義の理念に沿って実践を高めていきたいと思います。

 

苦労の至宝

昨日は、北海道浦河町にある「べてるの家」と「浦河ひがし町診療所」を見学するご縁をいただきました。お昼のランチには、べてるのカフェ「ぶらぶら」にてランチを頂くこともできました。

この浦河町という町に、志を決めた方々が存在し、この小さな町から発信していくチカラ強さに驚くことばかりの一日を過ごしました。まずべてるの家の理念は、「・三度の飯よりミーティング・安心してサボれる職場づくり・自分でつけよう自分の病気・手を動かすより口を動かせ・偏見差別大歓迎・幻聴から幻聴さんへ・場の力を信じる・弱さを絆に・べてるに染まれば商売繁盛・弱さの情報公開・公私混同大歓迎・べてるに来れば病気が出る・利益のないところを大切に・勝手に治すな自分の病気・そのまんまがいいみたい・昇る人生から降りる人生へ・苦労を取り戻す・それで順調」というものがあります。

これはべてるの家が、日々の出来事の中から気づいた大切な初心を取り戻すための実践目録でもあり、この考え方や生き方を優先していけば病気は善いものに転じられると考えられているものではないかと私には感じました。文字だけを読めばなんのことかはわからないと思いますが、べてる用語といってその組織が育んだ文化は言葉に顕れているのが分かります。

私達の会社にもカグヤ用語として、分かった気にならないことや自分に矢印、聴福人など自分たちの気づくの中から大切な初心を忘れないための言葉たちがたくさん生まれています。言葉というものは、自分自身と向き合える大切な道具でもあり、また刷り込みを取り払い本来の姿を自覚するための大切な神器でもあります。

一緒にいきていく人たちが、何がもっとも大切なのかを御互いに認め合い自覚しあい助け合うためにも理念の共有合ってこそのこの仲間づくりであろうと私は思います。何のためにその経営をするのかという、根本意識はどんな経営をするのかという方法論よりも常に先んじていることが生き方を仕事にしている人には何よりも重要なのです。

私がべてるの家を観てもっとも同感したのは、人間関係の苦労を大切にしているところです。人間は「人の間」と書きます。人は人と関係を持ち、人間関係がもっとも人間を人間らしくし、人間が人格が磨かれ人間になるものです。その苦労を避けてしまうと人間はやはりどこか歪んでしまうように思います。人間関係に自立と共生は欠かせない学びの項目です。その人間としての苦労を避けるのではなく、敢えて御互いに苦労を味わいながら生きていく中にこそ最高の宝があると私は思います。人間としての歓びは仲間ができることです。その仲間がいて助けてくれるのなら、その人は仕合わせな人生を送れます。

先日のアイヌの活動家アシリ・レラさんの言葉にお父さんの教えとしてもっとも大切なのは「仕事ではない。食べることではない。お金を得ることではない。人間関係がいちばん大変なんだ。これができる子になったら、世の中は怖くない」とあったそうです。

苦労を悪いものにしていないべてるの家の実践は、多くの人たちに今の時代に必要な御互いを思いやる心を育てることや、自立と信頼を絆にする仲間づくりのための要諦が詰まっているように感じました。

その他にもべてるの家の生き方を拝見していると、私たちの会社に共通するところが非常に多く有り難い勇気をたくさんいただきました。子どもに譲れるものばかりに溢れていて今回のご縁に改めて深く感謝しております。

まだまだ書きたいことが本当に多くありますが長くなり過ぎるので明日のブログで、浦河ひがし町診療所の有り難いご縁と内省から学び直したことを書いてみたいと思います。

共生の先生

かねてより念願だった北海道旭川の斉藤牧場を見学するご縁をいただきました。台風の後の牧場は日差しが強く、牛たちが木蔭でゆったりと涼んでいる様子、またのびのびと草を食べる様子に懐かしさを感じ有り難い気持ちになりました。

ここ斉藤牧場は、世界でもまれな独特の飼育方法「蹄耕法」という牛が自ら牧草地を切り拓いていくという仕組みを実践されている牧場です。通常は重機を使い牧場をつくりますがここではほとんど牛に任せて場を見守り整えていきます。

山には牛だけではなく、様々な野生動物や虫たち、多様な植物たちが存在しながら牛もまたその中の循環の一つとして生活を一緒に営んでいます。牛舎の中で牛乳を搾取するためだけに用いられる牛ではなく、いっしょに生きる仲間として生活し牛乳を分けてもらうのではその根本の考え方が異なります。これは自然農や自然養鶏でも感じましたが、人間の都合で生き物を単なる使用品の一つにしてしまうではそのもののいのちは喜ぶことはありません。

なぜ使用品になるのかは、結果だけを求めてプロセスを蔑ろにし効率優先、合理化優先、手間暇を悪かのように排除してきているうちにこのような結果主義になっていくのでしょう。現在、私たちが飲む牛乳は水よりも安くスーパーなどに提供されていますがその陰には、大量の飼料や牛の改造、もっと牛乳を出させるためにとあらゆる方法で牛に負担をかけているのがわかります。

何をもって「おいしい」というのか、そこには意味があります。舌先三寸を誤魔化した味付けの美味しいは脳だけ喜べばいいのでしょうが自然の理に適っている「おいしい」は、手間暇や素材、そのプロセスそのものを五感で美味しいと感じるのです。

斉藤牧場でいただいた搾りたての牛乳は、飲んでみるとすぐに見学した牧場の様子が感じられその美味しさに自然の恵みが入っていることを感じます。そう考えてみるとすべていただいている食べ物は、自然の中でいのちを輝かせ活き活きと伸び伸びと仕合わせであればあるほどにその生き物から発せられる生命力もまた同じようにいのちが育っています。

私達が本当に食べているものは単に胃袋を満たすためのものではなく、いのちそのものを分けてもらっているのかもしれません。だからこそわけてもらっている仲間やパートナーである生き物たちを大切に見守りフォローしていくことでそのいのちを分け合っていきていくのです。

かつての共生には常に分け合うという思いやりがありましたが、今は人間世、人間界のみのために地球が使われてきているように思います。「いのち」は決して人間のためだけにあるものではないのだからもっと経済効率だけに縛られないような生き方をみんなが決めてそういう生き方にお金を払うような時代にしていく必要があるように思います。

自然は共生の先生ですから自然に寄り添う仕組みを実践する先人たちから自分の生き方を見つめ見直し、未来の子ども達のためにも自然のいのちの本当の豊かさを遺し譲れるように自らも実践を積んでいきたいと思います。

神への祈り~カムイノミ~

昨日は、アイヌの祭りのカムイノミ(神への祈り)に参加してきました。あいにくの台風で拝見することができませんでしたが、その尊さと場の雰囲気を感じることができました。

この祭祀は、人々が暮らしていく上で大切なことを一週間をかけて準備して執り行われる儀礼でもあります。男性は家を守る神様としてのイナウという道具を木を削り準備していきます。女性は御酒造りをして捧げるものを用意していきます。今回は最終日のみの参加になりましたが、本来は一週間前から丁寧に真心を籠めて準備をすることが祭りそのものでもあり、御祭りとはこの神様や自然に対しての自分の心を澄ませていくための大切な期間であるのです。

アイヌではこの世にあるすべてのものは魂が宿っているとして「カムイ」(神様)であると定義しています。これは日本の神道にもある八百万の神々と同一のものです。いつも身近にはカムイが存在していて、そのカムイと相談しながら、信頼しながら、語り合い折り合いをつけながら生きてきたのです。

このカムイノミの儀式では、祭祀がまず「火のカムイ」に祈ります。アイヌにとっての火のカムイは、とても大切なカムイとされます。この火はぬくもりやあかりでいのちをあたためるだけでなく、日々の食事を手伝ってくれます。さらに人間の願い、訴えを聞いて、他のカムイへ伝えてくれると考えられているともいいます。人間の祈り言葉に足りないところがあればそれをうまく補ってくれるとも言われます。常日頃から火のカムイは私たち人間を支えてフォローしてくれている老父老母のような存在として崇め奉っているそうです。

私も囲炉裏や炭火を実践する中で、火の中の在る「ぬくもり」が心に伝承することを繋いでくれる役割を果たすような気がしていました。夜の暗闇の中に和蝋燭をつければ言葉が少なくても伝わることが感じられるのです。御互いの自然の感性に触れるためにも闇と明りをつなぐ「火のカムイ」の存在はとても大切なもののように思います。

今は電気ばかり電灯ばかりをつけていますが、いちどその電気電灯を消してみて時代を見直す必要を感じます。火の神様に見守られていることを忘れないことこそ自然と共に生きて来た先祖の真心を感じることではないかと私は思います。

最後にこのカムイノミでは祈り言葉として、人類の平和と自然への感謝、言い換えるのなら「地球にすまうあらゆるカムイ」に向けて祈りの「言葉=カムイ」が捧げられます。まるで八百万の神々に向けての自分も一体になったいのりのように私は感じます。

今回の祭りに参加してもっとも印象に遺ったのは、この祭りを主催しているアイヌの活動家、伝承者であるアシリ・レラさんの言葉です。

「アイヌは地球をカムイにしている。だから戦かう必要もなく争う必要もない。みんなそうやって仲良くしていけるといい」

何のために活動しているか、何のために伝承するのか、その真心を御縁をいただき深く感じました。

地球に生き残ってきた先住民の方々の思想は、時代の篩にかけられて永く生き遺った智慧の結晶です。この文明がたった数千年で終わったとしても、これらの先人たちが築き上げた文化は数億年の歴史をもっているかもしれません。私たちは今の文明が最先端だと視野を狭くしていますが今一度何がもっとも大切なことかを見直す必要がある様に思います。

人類が存続する鍵は、このようなもう数少ないが力強い生き方の中に遺っています。お祭りを深める最初の祭りがアイヌであったことに深く感謝しています。引き続き子ども達の未来のためにも祭りを通して大切なことを学び直し伝えていきたいと思います。

自然住

昨日はアイヌの古来からある住居「チセ」を見学する機会がありました。このチセは、北海道の厳しい冬を乗り越えるために編み出されたアイヌの伝統の智慧でもあります。かつての人間は自然の仕組みに精通していて、今のように全部人間のエネルギーだけで解決しようとは思っていませんでした。

現代は石油や電気などの燃料を消費して熱を出して暖めますが、かつては自然の仕組みを最大限活用して厳しい寒さを凌ぎ、高温多湿の夏を乗り切ったとも言えます。

この古民家の持つ不思議と魅力を少し整理してみます。

本来、私たちの住まいは生きていくための最低限を保障するものでした。それは言い換えるのなら、いのちのための最大限の環境を創るということです。

このチセは日本の古来の縄文時代の住居と同じように土間の上に木組みで組まれた建物にワラや笹を用いて断熱したシンプルなものです。その中心には囲炉裏があり、一年中火を熾し生活をしていました。

そこでの暮らしはとても合理的であり、囲炉裏の火を熾すことで夏は湿気を飛ばし室内を乾いた空間に換え、冬は床暖房のように蓄熱し室内を温かく維持する空間にします。

この仕組みの凄いのは、自然のサイクルに沿っていることです。夏は冬の寒さを土が貯めて半年間ほど土を冷やします。よく今の季節でも自宅の犬が土を掘って真夏の灼熱の暑さをしのいでいるのを見かけます。ためしにその掘った土に触れてみるとヒンヤリと冷たく天然の冷房が機能しているのが分かります。いくら表面が光で熱せられても土の方は逆転して冷たいのです。

そして今度は冬になると、地下深くは夏の間に蓄熱した熱がそのまま土に保持されています。クマや野生動物が土の奥深くで冬眠するのも、土の中の温度が暖かく過ごしやすいからです。いくら表面が凍って雪が降り積もろうが、地中深くは暖かいままの温度があります。

この自然の仕組みを先祖は家づくりに取り容れているとも言えます。そしてその調整役を担うのが「囲炉裏の火」の役目であったように思います。私たちは保存食をつくるにも燻製やカビを撃退するのも炭火や煙を用いて来ました。日々の食卓は、この囲炉裏の火で賄われてきました。年中この火を絶やすことがなかったからこそ、室内環境は快適に過ごせたとも言えます。

暮らしというものは、食べる寝る着るといった衣食住が中心に行われます。その中心には自然との共生があり、自然の仕組みを活かしたもので私たちは無駄なエネルギーや無理な活動をわざわざ使うことがありませんでした。

それが永い時間をかけて生き延びてきた智慧であり、自然と一体になって生きていけば安心して生きていけるという自然界の生き物たちの智慧を活かしているともいえます。

確かに今の時代は、裕福に物に溢れエネルギーも無尽蔵にあるようにみえます。しかしこれは一時的に燃料を掘り出したり、資源を食いつぶしているから豊かに見えるだけで資源がなくなればかつてなかったほどの悲惨な状態になっていきます。

以前、ある生き物で溢れた豊かな小さな島で、人間が木材は金になるからと競ってみんなが森の木を切って売り払ったらその島は生き物が絶滅し人間もまた最後に絶滅したという話を聴いたことがあります。

これと同じような未来を見据えているのか、かつての古来の先人たちは何を知っていて自然に寄り添ったか、その住まいや佇まいから私たちは大切なメッセージを受け取る必要があるように思います。

もしくは今の文明はたった数千年ですが、もっと以前、何億年も前には似たようなことが何回もあったのかもしれません。今の生き残りの先祖たちというのは、生き延びてきた先祖たちであることを改めて私たちは意識する必要があるように思います。

だからこそ畏敬の念をはらい、尊敬の念をもってその智慧を学び直す必要があるのです。子ども達のためにも、博物館化してしまう死んだ知識になるものではなく生々しく呼吸する智慧のままで歴史を伝承をしていきたいと思います。

土着の民

古来より文化には「土着」というものがあります。この土着とは、その土地で生まれたもの、その土の中から出て来たものという意味です。この土着というものは自然発生的に風土が顕現した存在のものです。そして土着の文化とは、その土地にずっと根づいた存在があったということです。

先住民や未開拓の土地には、土着というものがあります。長い年月、ずっと自然に任せて自然と暮らした人々の持つ風習も残っています。それを外からやってきた人たちが入ることでその土地は開拓されたとされそれまでの土着が消えていきます。

この土というものは、その土の固有の魂が残存します。土には根を掴む効果があり、根は土の掴む性質を知ることでその土地に根をはります。この土が掴むものは単なる根だけではなく、その土地の文化をも掴んでいるとも言えます。多様性というものは、この自然界の中にある土着のことでありその土が化けた存在がどのように折り合い折り重なることでどのような文化が出来上がったかということにもなります。

日本という国はそういう意味では土地に多様性があります。つまりこの多様な姿そのものは自然があらゆる顔を持っていてその顔に合わせて土地が出ているとも言えます。そのバラエティの数々こそが日本の土着の現れであり、土着こそが多様であることを証明しているとも言えるのです。

日本の文化というのは決して一つではなく、その土着の文化の数々の集積によって仕上がっています。それが為し得たのは、それぞれの違いを認めるといった思想が根底にあったからです。

そしてこれこそが日本の土着の文化ではないかと私は思います。

自然すべてを八百万の神々とし畏敬の念をもって精霊などと話をしてきた民族、まさにその生き方の中に文化もいきづいています。日本らしさは、全国あちこちを旅する中で感じる土着の民の暮らしの魅力に感じます。

今日から北海道ですが、二風谷の場を感じて土着の魅力を味わいたいと思います。

歴史を紡ぐ

歴史というものを深めていると、その土地や風土にはそれぞれに独自の発展があることに気づきます。それはその風土の中でそれぞれの文化が発達し発展していくことでその風土に適った文明が発生してくるからです。世界ではまだ未開拓の土地にはそこでの文化文明はそのままに遺っています。今は、グローバリゼーションで世界を画一化していく流れからあちこちの風土の文化文明を無視して同じ価値観に塗り替えられていますがこの辺を考え直す必要があるように思います。

そもそも日本のことを思えば、かつて聖徳太子の時代に神道と仏教、儒教などを合わせて「和」という精神において発展を遂げてきた文明を築きました。日本は他国から入ってくる文明に寛容であり、それを自分たちのものに変換し調和する生き方を尊びました。

近代になると明治維新の頃に、急速に西洋化を求められそれまでの文化や文明を否定し丸ごと西洋に入替えて対応するということをやりました。終戦後は、自分たちの文化に文明をとりいれるのではなく、文明そのものを丸ごとコピーして西洋の文明がもっとも価値があると信じ込まされてきました。自分たちの文化を否定して自分たちの風土の中で発展してきた文明を捨て去ったとも言えます。

もしも今もかつての日本の文明があったらどうなっていたか、もしくはあのブータンのようだったかもしれませんし、ドイツのような国になっていたかもしれません。今はほとんどアメリカ色になっていますが歴史がそのまま保持され、根がつながったままに発展したらどのような国に今なっているのかを思いを馳せると色々と観えてくるものがあります。

現在の古民家再生も、自然農も、その他の日本の文化を学び直すのもその途切れた歴史をつなぎ紡ぐ中で根治しようとする試みなのです。古い道具の中には日本人としての文化や文明の痕跡が残っています。それを一つ一つ、修理して直しながら味わってみるとどのように発展すればよいのか、何を発展していることと定義しているかが伝承できるのです。

ゴミ屑のように捨てられていく骨董品は、本来は日本の根とつながる大切な歴史の遺産です。

引き続き、根のある生き方を深めて子ども達に歴史を紡いでいきたいと思います。

 

自分の寿命よりも長い存在

古くなったものを新しくするのに、一度かつての古民家をその時代のものに戻しています。そもそもこの家はどのようなものだったのか、その時代はどのような道具に囲まれていたのかを知ることは原点を確認するのに必要です。

人は原点回帰をしていく中で、本質を学び直してそのものの真価を確認することが出来ます。歴史とは単に過ぎ去った過去ではなく、今を知るうえで重要な「つながり」を感じるものです。

100年以上の古いものを集めて磨き直して古民家に置いてみると御互いが関係し合うことで空間が新たに活かされていきます。近代化して大量生産されたものではなく、職人が一つ一つ目的にあわせて自然物を活かして作られたものは作り手や私たちの寿命よりもずっと長く用いられていきます。

例えば、江戸時代の骨董品であったとしても丁寧に磨き直し正しいところに配置し直してみるとそれが如何にシンプルに機能しているかわかります。つまりいつまでも主人を換えてはそのものは甦生し続けるのです。

歴史というものやつながりというものが切れてしまうと人間は自分の寿命の範囲でしか物事を判断しなくなっていきます。しかし実際に自分よりも寿命の長いものに囲まれていきていると如何にいのちが連綿と繋がって紡がれて今の自分が存在しているかが自覚できます。

自分の寿命よりも長いものに包まれているからこそ、もったくなく感じられそのもののいのちはまだまだ大切に活かせばずっと先の先祖からずっと後の子孫まで私の代わりになっていのちのつながりを見届けてくださっているという安心感を感じるのです。

昔の祖父母がもったいないと常に言ってものを大切にしたのは、これらの寿命よりも長く生きている存在をいつも身近に感じるような場の中に暮らしがあったからなのでしょう。だからものを粗末にしなかったのです。

そう考えてみれば、地球や太陽をはじめこのすべての身の回りにある生きとし生けるもの、またそれは無機物であろうが風であろうが波であろうが自分よりもずっと永く遠くから存在して私を見守ってくださっているものです。

そういうものを感じる感性をいかに磨いていくかが、人類がこの先、寿命を延ばし永くこの地上で生きていくための智慧になっていくように私は思います。今一度、温故知新の大切さを学び直し子ども達に「自分の寿命よりも長い存在」を身近に感じられるような場を用意していきたいと思います。

自立の要諦

人は誰かにやってもらうことが当たり前になってくると、依存が深くなっていくものです。誰かがやるのではなく、自分が気づいたから自分がやろうとする人は自立しているとも言えます。なぜ人が自立できるか、そこには「当たり前ではない」といった感謝の心があるように思います。

この当たり前という言葉は、感謝の心の反対にあるものです。誰かに何かをしてもらうのは当然の権利だと言い出すともはや救いようがありません。例えば、空気があって当たり前、水が合って当たり前、自分のご飯があって当たり前、健康であって当たり前など、言い出すとキリがありませんがそれを当然の権利だと勘違いするから依存は深まっていくのです。

ある人からの話で、震災の時にみんなが助け合って最初は協力して仲睦まじく機能していたチームがあるとき「国がなにもしてくれない」とか「こんなに頑張っているのに」とか誰かが言い始めてから途端に仲が悪くなり助け合わなくなったと言います。

上手くいけば自分のおかげ、都合が悪ければ誰かのせいにしていたら依存体質は深まる一方です。全てのものは御蔭様で成り立っているという事実を知り、どんなことも当たり前ではない他力が働いて今があると感謝に生きる人は依存することがありません。

つまりは依存の本質は、人間として生きていく上で大切な恩とか徳とかを忘れた状態ということです。もしも皆がこんなに与えてくださっている御蔭様に気づくのならもっと御恩返しがしたいと感じ始めるものです。そうして一人ひとりが自分が大好きな所属する組織や社會、場を守りたいと自主的に実践するのなら当たり前ではない関係がそこに発生してくるように思います。

「有り難い」という言葉は、もったいなくて滅多にないということです。つまり当たり前ではないということです。その当たり前ではないことをどれだけ感じているか、そして自我欲に呑まれて当たり前になってしまわないように如何にその御蔭様に感謝するための御恩返しの実践を積んでいくか、そこに自立の要諦があるように思います。

できるかできないかではなく、できないことを誰かのせいにするのではなく、自分に与えられている天命に感謝し天命に生きることを自分が責任を持ち果たすことが自立するということでしょう。だからこそ周りの天命を尊重し、自他を活かし合うことになるように思います。

何のために自立するのかを忘れず、子ども第一義の理念を実践していきたいと思います。

左官と土

昨日、伝統文化財なども修理できる有名な左官の親方と聴福庵の蔵の修理の件で打ち合わせをする機会がありました。古来より、日本家屋は木と紙と土など自然物を調和させこの日本の風土に適ったものを使ってきました。

特に土については高温多湿のこの日本の風土では調湿効果が高く、夏場はとても重宝します。いよいよ土を使った古民家の再生に入りますが、新たな物語が増えてくる予感にこれをどのように子どもに伝承していくかを楽しみにしています。

土壁というものは、土を壁に塗っていき独特の風情を醸し出すものです。昔の人は、季節の廻りにあわせて農繁期を終えてすぐに藁をつかい土と混ぜ発酵したもので土壁の補修を行い乾燥させて翌年にまた補正するとうように家の手入れを怠らずに大切に利用してきました。

この土というものは、空気のように当たり前すぎて気付かなくなっていますが本来私たちのカラダやいのちはすべて土から生まれて土に帰る理の中にあるものです。つまり土は万物生命の源であり、土がある御蔭でわたしたちは生きていくことができています。生き物は土から遠ざかるほどに心身が健康でいられなくなるとも言います。私たちのカラダは言い換えれば土が化けたものです。これは植物でも同じですが、土に種を蒔けばカタチになりますから土が化けているのです。その土を通して私たちがいのちに活力を与えているのは何か、それが地球の生命とつながる場所とも言えます。土から離れて生きていけるいのちはこの世には存在しないのです。

最近では西洋からの歪んだ価値観が入ってきては土を汚いと勘違いしている人が増えてきています。これこそ土に触れないことによる大弊害であり、自然農を実践すればすぐにわかりますが土の持ついのちの循環と純化、そして浄化作用というのは自然界では最上のものです。

この土を使った土壁塗りというものは、まさに日本文化の結晶であり土を何度も何度も塗りあげていくなかで私たちはその大切な日本の精神を学び直すことができるように思います。

引き続き日本の伝統的な職人の智慧に習い、暮らしの復古創新を学び直していきたいと思います。