旬の実践

自然には「旬」というものがあります。これは季節の廻りによってタイミングというものがあるということです。このタイミングを逃すと旬は離れていきます。今の時代はこの季節や旬を気にせずに好き勝手にやりますが実はこれはとても理に適っている古来からの大切な知恵なのです。

今回はこの「旬」というものを深めてみたいと思います。

この旬というのはよく食材で使われます。季節の中でもっとも美味しい時期を指し、この時期のものを食べれば身体にもいいし味も美味しいということです。つまり四季を通してもっとも最も生育条件が揃った環境で育てられ、最も成熟している時期であるのが旬であるということです。

この時の旬というのは「自然の恩恵」をもっとも受けている時期とも言えます。この自然の恩恵に感謝して、その感謝がカタチになったのが旬の定義でもあります。またこの旬には食材に限らないのも旬です。最後の宮大工と言われる西岡常一さんにこういう言葉が遺っています。

「仕事の割り振りでも、季節を考えなきゃなりませんな。働く人は農家の人が主です。だから仕事をするのでも農閑期に使えるように段取りしたものです。今はそれがありませんな。旬がなくなったんです。旬は食べものだけじゃないんでっせ。仕事を進めていく上でも自然の運行と深い関連がありますのや。」

仕事も同じく、環境が整い、環境に恵まれているときは何をやっても上手く事が流れていきます。反対にタイミングがズレてしまうと後の祭りになってしまうことが多々あります。なんでも直観的に行動する人は、このタイミングを逃すことがありません。タイミングを逃さずに行えば自然の流れに従って力をお借りすることができます。

例えば農家などは全部この自然の運行の力を使います。雨季の前に種を蒔けば、水を撒かなくても自然が水を与えてくれます。また雑草も待っていれば秋風が吹いて自然に枯らせてくれます。自分のチカラだけではなく、自然の他力を存分にお借りしてその仕事を成し遂げるのです。

今の時代は、自分の思い通りに動かすことが仕事だと勘違いする人たちが増えこの「自然の運行」や「季節の廻り」というものを無視して自分の都合だけでスケジュールを動かそうとさえします。

しかし何でも物事には「タイミング」があり「旬」がありますから、そのリズムを大切に守りながらそのリズムによって自分を運び動かしていかなければ仕事もまとまるものも全部流れていってしまいます。大事なのは自分の都合か相手の都合かではなく、「流れ」を読むことであり、全体でいま何が動き、何を行うことがもっとも全体の流れを邪魔しないのかと自分から進んでその流れに乗っていくことが必要です。

これもまた旬であるということです。

この旬を逃すとどうなるかは食材でも同じく、熟しすぎて腐ってしまったり早すぎて食べれなかったりします。タイミングを見続けるには自分を優先しすぎてはならないように思います。そして自分を度外視して相手のために真心を盡したり、思いやりから苦労を厭わずに行動していかなければなりません。それが自然そのものに繋がっているからです。

タイミングを逃さないというのは、いつも御蔭様に感謝して御蔭様を見続けている実践、つまりはそこには自分以外の物事がいつも自分を陰ながら助けてくださっているという謙虚に信じ続けているからタイミングに恵まれるのです。

運が善い人というのは、自然の運行に沿っている人ということです。

引き続き、自分の直観を信じて謙虚に学び直していきたいと思います。