混ざり合うこと

昨日からシンガポールに来ています。前回の教育視察を経て、今回はより具体的に学校内部の生活や寮、そのほか留学生たちの状況、さまざまなことを深められると思います。

シンガポールは、中国系、マレー系、インド系、その他、町に出てみればすぐにわかりますがここは非常に多くの多国籍の人たちが暮らしています。日本のような島国はあまりそう外国人が多いというイメージはありませんが、このシンガポールはいつも様々な人々が混ざり合っている感じがします。

私がこの国に最初に興味を持ったのは、10年ほど前にブルーオーシャン戦略の講演で来日したチャン・キム教授がこのシンガポールは国家としてこの戦略を取り入れているという話でした。大きさ的には東京23区ほどの広さしかなく、資源も乏しいこの国は自分たちの持ち味に特化することでアジアの優等生と呼ばれるほどの経済大国になり、今の立ち位置を手に入れました。

確かにいろいろな人たちがここを出入りし、様々な国へと移動していきます。HUBとしての要素は非常に強く、以前訪問したオランダにも通じるところがあります。自分を通過してそれを混ぜていくという文化は、寛容さが必要です。一つの価値観だけで縛りその価値観のみを強烈に押し付けるという文化ではこの混ざり合うことができなくなります。

私はこれからの時代は、より多国籍他民族が混然と一体になっていくように思います。ボーダーレス、国境のない世界になればなるほどにあらゆる価値観を受け容れて人類共通の大きなビジョンに導く人々が世界をつなぎなおしていきます。

そのためには、一円融合といって「とらわれない・こだわらない・こしつしない」といった融通無碍の境地を持った人たちが、それぞれの持ち味を発揮していく環境を用意して人々の善きところを引き出してそれを合わせることができるように導かなければなりません。

これからの教育においては、まさにそのような混然一体の中で一円融合しつつ理念を優先できるような人材が必要だと私は思います。混ざれない人というのは自分や自我を優先して周りを変化させようとする我儘な人です。自然界は混ざっていないものなど一つもなく、すべての存在は混ざることで成り立っているのです。

自分ばかりを優先しては混ざろうとしないでは、とても一円融合し融通無碍になっているわけではありません。自分よりも理念が優先できる人はどんなものでも混ざっていけます。

言い換えるのなら「これはこれでいい」とその時々の今を、すべて最幸だと受け容れる感性を持つということです。今が幸せな人は、どんなものとも混ざっていけますが今が不幸だと思っている人は何にも混ざれません。

人生は天にお任せし、天命を信じ来たものを選ばず人事を尽くしているからこそ何があっても好いことだと転じられるように思います。私にとっての混ぜていいくのは転じ続けていくことと同じです。

この国から日本を顧みて、改めてこれからの教育の方向性を確認していきたいと思います。