欠点の美

先日からAI(人工知能)のことを書いていますが、理想の人間に近づくための完璧な能力を持つということは欠点がなくなっていくということでもあります。この欠点のないものを完璧と人は呼ぶのですが、欠点とは転じればそれは長所と呼ばれるものであり持ち味ともいうところです。

色々な生き物にはそれぞれに一長一短があります。ある場面ではそれは長所であっても、またある場面では短所になります。そうやってお互いに場所を棲み分け、また役割分担をし、共生し貢献しあうようにすることで一緒に必要としあって生きているのがいのちの仕組みです。

現在は、完璧主義の思想が蔓延することで自分を必死に直そうとして苦しんでいる人が増えてきているようにも思います。欠点がなくなるということは、言い換えれば全部ひとりでなんでもできるようになることなのでしょうがそのために孤立して仕合せから遠ざかったでは何のために完璧を目指したのかということが問われます。

本来、欠点というものは直すものではなくそれは活かすものです。上手く使えば長所になってみんなに貢献できるのだから、それをどのシーンで使えば上手くいくかを伸ばすことこそ欠点を活かせたとも言えます。

この何でも活かそうとする発想というのは、悪いところを裁こうという思想ではなくその悪いところも好循環できるように活かしていこうとする一緒に生き認め合う仲間の中で生きようとする発想です。

なぜ人が認め合うことができなくなってきているのか、それは過度に能力主義に偏ってきたからかもしれません。本来、人はそれぞれがあるがままであっていい、その人らしいことが美しいというように存在そのものを認めその存在そのものが愛されていると感じることで幸福を感じます。

これをした場合のみ愛されるや、あるがままをやめた時だけ受け入れられるような社會の中では欠点はあってはならないものになるものです。みんなと一斉画一に金太郎あめのように同じになることを目指すのではなく、自分の持ち味が如何にみんなに活かされるかを目指すことで欠点は美点に変化します。

人間の持つ価値、人間らしさというものはこの持ち味によって磨かれ光り輝いていきます。引き続き、生き方を通してこれから先のこどもたちがあるがままに生きられるように自ら実践し見守っていきたいと思います。