こよみ(暦)

現在、生きていくうえで人間は時間やスケジュールというものを中心に一年を過ごしています。特に日本では時間に正確に動くことは当然となり、電車であっても1分遅れでさえもクレームがでるほどになっています。日時というものに合わせて、曜日というものに合わせて計画を立てて生きていくのですがどこか時間的余裕が失われ季節感もなくなり日々の忙しさに追われているようにも思います。

私たちが生きていく基準にしているものの中に「暦」(こよみ)というものがあります。これを辞書で調べると「語源は日読み (かよみ) 。1日を単位として数えることにより,週,月,年と時間を分割した体系,また,この体系の基礎となる天体の知識,年間の予知すべき事項を記載したものをいう。分割の基礎になるものは,月の公転周期 (朔望月 29.531日) および地球の公転周期 (太陽年 365.242日) であり,前者を採用したものを太陰暦,後者を採用したものを太陽暦,両者を併用したものを太陰太陽暦という。 」(コトバンクより)とあります。

現代の私たちはかつての太陰太陽暦を捨てて明治以降から太陽暦(グレゴリオ暦)という西洋で作られた「西暦」というものを用いて生活しています。これは1582年にカトリックのグレゴリウス13世はユリウス暦を西暦が100で割り切れ、かつ400では割り切れない年(例:1700年、1800年、1900年)は閏年とはしないという新しいルールを加えたグレゴリオ暦を制定したところから来ています。

古代ローマで作られたのがはじまりですから、12月のカレンダーにあるJanuary、Marchなどの月の呼び名はすべてローマの神話に出てくる神様の名前です。それにsunday,mondayなどの曜日の呼び名は北欧の神様も入っています。おかしな話ですが、私たちは日本人の神話もあるのに暦は別の国の神話の神様のカレンダーを使っているとも言えます。私たちが誕生日にこだわるのも、キリスト教会がイエスの誕生祭にこだわるからでもあります。

日本でそれまで用いられてきた太陽太陰暦にあったような農業や年中行事の和暦を全く無視した西暦(グレゴリオ暦)に明治時代に強引に政府が入れ替えました。それまで農業では、季節の節目を洞察してつくられた二十四節気・七十二候が用いられ種まきや収穫の時機や季節による農作業の準備をきめ細かく行ってきました。そして正月や節句のような年中行事は月の満ち欠けの太陰暦の日付で行っていました。それだけ昔の人は、暮らしと暦が密接でありこの和暦があることで安心して自然と一体になって暮らせていたとも言えます。

季節感がなくなってしまったのは、この暦が季節とまったくかけ離れたものを用いだしたからともいえます。今では年中行事も土日の方が人が集まるや、それがやりやすいからと勝手に日時を人間都合のスケジュールで動かすようになってきました。本来の年中行事の意味や自然の季節のサイクルともズレた行事は本来の暦の本質からも離れていく一方です。

改めて明治時代の改暦から約140年経ち、社會の今の見つめれば何が歪んでいるかに気づきます。その歪に気づいたなら自分自身がまず本質に回帰した生活や暮らしを実践し温故知新して次世代に譲り渡していかなければなりません。

今では季節感もなくなり年中行事も意味が失われてきていますから、子どもたちのためにも自分たちが実践により今の時代に適応した仕組みを創ってみたいと思います。古民家再生の一つの主柱にこの「こよみ」(暦)というものを使います。