自分とは何か

人は自己認識というものをどのように持っているかで自分というものの理解が異なってくるものです。今の自分を丸ごと認めている人は、自分にこだわりませんが自分の何かをいつまでも認めない人は今の自分のことがわからなくなるものです。

今の自分とは何かということです。

今の自分というのは、過去のある時の自分や、誰から評価されていたときの自分、自分の理想の自分など色々とあります。自己中心的な人ほど、自分というものを自分で設定する傾向が強く、またその自分像を周りに押し付けていくものです。しかし本来の自分というものは、今に徹することで顕現するものであり今、此処のすべてを自分だと感じない限りは本当の自分に出会えることがありません。つまりは自分は変わり続けていることを自覚できるということです。

人には思いがありますが、その思いがこだわりすぎるとその思いが真実をゆがめていくことがあるのです。

小林正観さんの著書「豊かな心豊かな暮らし」(廣済堂出版)にこういう言葉があります。

「自分の思いを持たなければ、生きることはそんなに大変ではありません。流れていくままに、流されていく生き方でいいのではないかと思います。」

よく思いを持てとかいう自己啓発本は出ていますが、この思いを勘違いしている人が多いように思います。ここでの思いは執着ですが、いつまでも自分にこだわると変化ができなくなるよということです。それよりも今の自分が置かれた環境で変わり続けている自分を認識できるかということです。そのためには、門前の小僧習わぬ経を読むの心境でなんでも新人になったつもりで挑戦し続けていくしかありません。小林正観さんはこう言います。

「自分でわからないことについては、とりあえず、「わかりました」と言って引き受けてみる。出来なかったら、「出来ませんでした。ごめんなさい」と謝る。そういう素直な自然体の心で生きていけばいいと思うのです。 思いを持てば持つほど、重くなります。思いが重いのです。」

この素直で自然体な心、それが今の自分を認識する唯一の方法なのです。素直になるというのは、自分勝手な執着を持たずに今の境遇に感謝して仕合せになるということです。こんなはずではないとかこんなはずではなかったとか、思い通りにいったとかいっていないとか、いつまでも自分に執着して今の自分を受け止めず受け容れないような心の態度ではその人は変わることができないのです。

変わるというのは、変わり続けている状態を言い、周りに役立てる自分、周りに活かされている自分、そして周りに感謝している自分になっていくことです。そのためには具体的な実践として「なんでもやらせていただきます」という今に対する生き方の覚悟がいります。これは自分の仕事ではないとか、これは自分には相応しくないとか、やりたくないとか、そういう自分の思いを持ってしまえば身体も心も重たくなります。そして次第に動けなくなって、そのうち周囲に心を開かずに閉じこもって病気になります。

そうではなく、変わり続けている今をたのしみ、どんな自分が本当の自分だろうかと今の自分を丸ごと味わい学び続けるとき、人は自分の本心と対話し、自分自身になっていくように私は思います。機会を活かす人はご縁に活かされるからです。

幼いころから誰かの目線を気にして嫌われないように演じたり、または評価されては比較され競わされ争ってきたり、または歪んだ愛情を押し付けられ条件で愛されようとしたりと自分が素直に自然体でいられなかったことがあったことで今が受け止められない人がいることも共感できます。

しかしいつまでもそんな日々は続くわけではなく、人は今を受け止めて受け容れて今を100パーセント愛していくことで未来も過去も許し認められるようになりますから執着を手放してみて身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれと一度握っている自分を手放してみれば新たに観えてくる境地もあると私は思います。

同じように苦しんでいる人たちが沢山いて、その人たちが自分らしく生きていくためにも自分の方がさらりと変わっていく生き方が自他を素直に正直にしていくようにも思います。

引き続き子どもたちのためにも、今ここを楽しみ味わう生き方を実践していきたいと思います。