竹と日本の心

日本の伝統家屋を深めていると必ず「竹」に辿り着きます。かつての伝統家屋を分解すれば床材から壁、天井、簾、あらゆるところに竹が使われているのを発見するからです。また、かごやざる、花器などの日用品から玩具だけでなく、日本文化を代表する茶道や華道の道具、笛や尺八などの楽器、竹刀や弓などの武道具などに用いられ常に日本の暮らしに欠かせないものになっています。

世界には1300種類ほどの竹があり、その中で日本には約600種類の竹が存在しています。竹取物語でかぐや姫が竹の中から出てきた話がありますが、生命力が強く神秘的な竹に古代の先祖たちは不思議な植物として崇め奉ってきました。竹を用いた祭事や神事が多いこともそのためだと言われます。

京都大学農学部教授であり「世界の竹博士」と呼ばれた上田弘一郎氏が「竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だ」 という言葉を遺しています。確かに植物や樹木などとは分類できない「竹」という存在に改めて私も魅力を感じます。

日本人はこの竹をこよなく愛し、竹と共に歩んできた民族です。最初の竹は縄文遺跡の中からも土器の模様などで見つかっているといいますから、如何に古代より竹が暮らしの中で重要な役割を果たしてきたのかがわかります。近年はその竹の存在があまり感じられなくなり、竹林も野放しになり日本の美しい風景を彩る竹林も消失されてきているように思うのは本当に寂しく残念なことです。

著書『日本事物誌』の中でチェンバレンは「竹のない日本人の生活は、バターを使わない練子菓子の如く、明るい部分のない風景画の如く、一言も不平をいわぬ英国人の如く、ほとんど想像のできない、ということを述べるだけで充分であろう。」といいます。

竹は常に日本人の身近にあって暮らしの中心だったということを思えばまさに竹こそ日本の文化の中心だったのではないかと私には感じます。それに私が竹に惹かれるのは、その竹の存在が日本史の歴史の中でずっと私たちの暮らしを助けてくれてきたことです。笹も枝も竹皮も、それに筍、根、竹稈にいたるまで竹は無駄なところは一切なく日本の風土とぴったり合わさり私たち日本人と共に歩んできた人生のパートナーでした。

この人生のパートナーの存在を忘れることは、私たちの身体をつくってくださってきた稲の存在を忘れることと同じくらい大事なことです。今まで私たちが生き残ってきた手段を失い、今まで共に助け合ってきた存在をなおざりにするということに非常な危機感を私は感じます。子どもたちに譲り遺していく存在を私たちの先祖が大事にしたように私たちも大事にしなければ生き残れないのです。私は稲と同じくらいこの竹を大切にしたいと思うのです。

引き続き今年は竹を深めて、日本人の心を探ってみたいと思います。