時間の使い方~志間~

昨日、長年一緒に歩んできた理念の同志の志を確認するご縁がありました。改めて深く聴き直してみると、この期間どのような生き方を目指してどのような生きざまがあったかという時の変遷です。

人間は時間は等しく同様に与えられ過ぎ去っていきますが、その時間をどのように使ってきたかはその人の生き方で決まります。時間が同じであってもその人の時間はその人の人生になるからです。言い換えるのなら時間とは命のある時の間、生まれてから死ぬまでの寿命のことです。

そしてその時間を自分の為だけに使う人と、世の中や人の為に使う人がいます。同志は自分のことよりも誰かのため、他人のため、世の中のためにと使い切って歩んでいました。自分を捧げ切るという生き方は、頂いた命を捧げ切るという生き方でもあります。そしてそれは自分を生き切る、命を生き切るという生き方にもなってきます。

命の使い方をどのようにするかと決心することが覚悟の価値であり、その決心したままに生きることで実践が積まれ本物になっていくように思います。ここでの本物とは、素直なままの自分、あるがままの自分、天命のままの自分になるという意味です。

人は我執が強くなり、自利ばかりに傾くと天命に気づかなくなっていくものです。そして天命は自分の与えられた時間でもありますからその時間を「何のために使うのか」という自問自答は、自分の一度しかない人生を生きる上で何よりも大切なことのように私は思います。

そしてその人生をどう生きるかどうかを決める出会いや邂逅がその人にあったというのは、その人が幸運に恵まれているとうことでもあります。そしてどんな人が幸運に恵まれるかというのは、道を求め感謝の心を忘れずに素直に謙虚になろうと決めた人のようにも思います。

人間は自分の物事の受け止め方が歪んでしまうと、一つひとつの出会いを大切にできないように思います。出会いを大切にする人は、物事から逃げようとせず、避けようとせず、誤魔化そうとせず、言い訳しようとせず、ただただその出会いに感謝します。そしてその出会いに感謝できている人はそれを恩とし、その恩に感謝しその恩を自分もお返ししたいと思うようになります。

こういう生き方の態度が決まっている人は、自ずから幸運を味方につけていきます。それは周りから活かされていることを知り、その活かしてくださっている周りを活かそうと自然の流れに逆らわないからです。つまり幸運とは好循環する自然の摂理に適ってきたということでもあります。

自然の摂理に対して、自然に反して自分の方にひきよせようとすればするほどに問題が起きます。自分のことばかりを考えて自分の心配ばかりしていては不自然になります。もっと周りのために自分を活かそうとすることが自分自身のいのちを大切に使っていくことになるのです。畢竟、人間は己に克つことが肝要で日々に我執に吞まれないように、どのように時間を使っていくのかの積み重ねが最期の自分の人生を創るということなのでしょう。

同志の生き方や生きざまに勇気がもらえ元気になります。引き続き私も自分の理想とする生き方に近づいていけるようにあるがままの自分を丸ごと認め、日々の小さな心がけと志間の積み重ねを継続していきたいと思います。