自由と言語化

人は自分の考えを自分の言葉で語れるというのは大切なことです。他人との対話は自分との対話でもあり、その対話を明確にしていく人は自他の考えを言語化することができるからです。

例えば、自分の経験からの暗黙知であってもそれを言葉に言語化する過程の中でその価値や智慧は可視化されていくものです。特に思考はイメージですから、それをどれだけ言語化できるかはその人の中でどれだけ明確であるかを証明することができます。

私は仕事で理念を紐解き、それを誰にでもわかるように説明していきますがそれは単に理念を語る人の代弁をしているのではなくその理念を語る人のことを深く理解し、その人の解釈を自分なりに言語化しているとも言えます。

その言語がより鮮明で明確であればあるほどに、周囲にその価値を明瞭に語ることができます。この曖昧なものを言語化する力は、自己との対話によって行われていくものです。

そしてその対話において大切なのは、真理を深掘っていく力、真実を探求して境地を体得する力、もしくは本質に徹底してこだわる力、もしくは道を極めていく力のようにも思います。

言語化するためには、その人が真理に精通していることだったり、本質が分かることや、自然や本物の中心が分かる、などのように自分自身に主軸が立っている必要があります。

それは単に自分の価値観に詳しいだけではなく、人間とは何か、自然とは何か、真理とは何かという哲学や思想を持っているということです。自由というのは、他人から与えられるものではありません。本当の自由は自分自身が、どのような世界、どのような環境であったとしても、自分自身を自在に変化させて心の在り方を変幻自在に調整して調和していくときに実現するものです。

そのためには、本質を守るために何を換えればいいか、本物であるために何を変えればいいか、常に自分の中心を守るための柔軟性が必要になります。そういうものを理解していくときに、分類分けされた知識としての言語をどれだけ「自分のもの」にできているかということが言語化からわかるのです。

一人一人が真理や本質を言語化できるようになる課程で実践が生まれ、そこに道が開きます。言語化された理念や初心を実践するということは、その人が自分自身の中の言語を本質に近づけていく努力でもあります。

引き続き、道に入り道を高めることができるように本質を磨き上げ本物に近づいて自然体のままで歩んでいきたいと思います。