決断するという才能

人生は挑戦の連続です。なぜなら前進することで進歩があり、人は成長するために変化に邁進していくものです。その挑戦には決断力が必要です。自分で決めるという行為自体が尊く、結果は気にせずその決断したことがその後の人生の自信と誇りになってくるからです。

決断力といえば、将棋の羽生善治氏に「決断力」という著書があります。羽生名人は、ただ強いだけではなくその向き合う姿勢が美しく、言葉の一つ一つに深い思想や哲学があります。何のために将棋をするのか、それを追求し道を歩む方の生きざまの中で語られる決断へのプロセスは私たちが新たな道に向かっていくときの勇気になるように思います。

『勢いはいつまでも続かない。どこかで止まる。一方、経験は、積めば積むほどいいものだと思っている。どんなに机上で勉強、分析しても、実戦でやってみて「失敗した」「成功した」経験をしないと、理解の度合いが深まらない。たとえば、一つの場面についての知識や情報をたくさん持っていたとしても、アプローチの仕方とか、理解の仕方とかは深まらない。理解度が深まらないと、そこから新しい発想やアイデアも思い浮かばない。いろいろ試したり、実践してみたことこそが、次のステップにつながっていくのである。』

本当の意味で理解するというのは、成功と失敗を経験することです。そして理解を深める過程で発想の転換ができるようになります。いくら禍転じて福になるといっても、それは自分の人生体験ではじめて理解するものであり頭でわかるようなものではないのです。試行錯誤こそが理解の王道なのでしょう。

『決断は自分の中にある 。現状に満足してしまうと、進歩はない。物事を進めようとするときに、「まだその時期じゃない」「環境が整っていない」とリスクばかりを強調する人がいるが、環境が整っていないことは、逆説的にいえば、非常にいい環境だといえる。リスクを強調すると、新しいことに挑戦することに尻込みしてしまう。
リスクの大きさはその価値を表しているのだと思えば、それだけやりがいが大きい。
そちらに目を向ければ、挑戦してみようという気持ちも起きてくるのではないだろうか。』

周りの環境が整っているかどうか時期かどうかではなく、自分で決めているかということの確認がやりがいと生きがいをもたらすように私も思います。初心を決めて日々に取り組む人は、毎日リスクと向き合い挑戦することになるからです。

最後に羽生名人はこう言います。

『何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。』

これをやって報われるかどうかではなく、やると決めたことを遣り切ることこそが決断力だと私は思います。

今、取り組んでいる古民家甦生においても自然農でも子ども第一義でもどれも長い時間がかかるものであり、私の一生ではその結果が見られないものばかりです。しかし、それでも報われなくても自分が決めた生き方だからそれを貫くというところに自分を活かすという才能が秘められるように思うのです。

自分の決めた生き方を遣り切るというのは、相手や環境に左右されることもありません。引き続き、機会とご縁を活かして才能を磨き直していきたいと思います。