好きになること~時間の使い道~

人は時間の使い方を観ればその人の生き方がわかるものです。その人が一日24時間を何に使っているか、また一週間の168時間を何に使っているか、さらには30日、1年とその時間をどう過ごしているかでその人の生き様が観えてきます。

例えば、一日の仕事を好きでやっている人は一日中好きなことに没頭していきます。好きでやっていることだからそれは単に時間を浪費しているのではなく、好きなことをするのに大切な時間を使っていることになります。

私も好きなことややりたいことが山ほどあって寝たくないけれど寝ないといけませんから寝ますが、寝ても覚めても好きなことのことを考えています。もちろんそれは単に趣味に没頭しているというものもありますが、やっていることがすべて一つの目的につながっていると感じることができればすべてのことが好きでやっていることに気づくのです。

やりたくないことや大変なことがあったにせよ、この時間は二度と戻ってこないものです。その時間をどのように大切に使い切るかは、その人の問題意識に由るものです。この体験はきっと誰かや未来に役に立つ、この経験はきっと何か大切な意味を含んでいると深めて内省を続けていれば後になってやっぱりあれはとても大切なことだったと気づきます。

そういうことが連続で起きてくると、好悪で仕事を選ぶのではなくそのすべてを愛せるようになってきます。よく考えてみると、好きになるというのは単に好き嫌いの好きではなく嫌いなところがあっても好きであるということです。つまりいろいろな欠点や問題があったにせよそれでも好きなっているということです。

一日の時間の使い方の中で、どれだけ好きなことに没頭できるかでその人の一生は決まるように思います。それは嫌いなことを排除しようとする努力ではなく、好きになっていく努力、それほどまでに好きになるほどに時間を大切に生き切ったかという自問自答の集積だと私は感じます。

時間をどのように使うか、それはその人次第です。

少しの時間も無駄ではないとその時間そのものを楽しんでいけるようになるには、自分自身の人生を好きになると同様に時間を好きになるということです。与えられたものに文句を言うのではなく、与えられたすべてのご縁を好きになること。

つまりは自分にとってもこの時間はもっとも相応しいものであると受け止め、それを真摯に時間に還元し時間に尽くしていくことのように思います。

この時間は二度とないからこそ、どの時間もかけがえのない大切な人生です。出会いを好きになり、ご縁を好きになり、経験を好きになり、ありとあらゆるものが好きになったとき、人は自分自身のことを本当に好きになるように思います。

自信と誇りは時間の使い方次第です。

引き続き、子ども第一義、すべての時間をその一点に集中して歩みを刻んでいきたいと思います。