子どもたちを見守る神様~お天道様~

天神信仰を改めて調べていると菅原道真公の生前の姿が観えてきます。現在では菅原道真公のことを天神様と敬い、学問や誠実、慈悲や正直の神様として崇敬していますが平安時代以後は恐ろしい神様として祀られていたといいます。

歴史を紐解けばわかりますが、天皇に対して国家に対して忠義が篤く、誠実だった人が時の左大臣藤原時平の妬みと嫉妬によって乱暴に追放され酷い目に遭ったことを不誠実なことだと人々が思ったからではないかと私は思います。

正直で誠実だった人物に対して、不正直不誠実であることで如何に天のお怒りに触れるか、つまりは日本古来からある「お天道様がみている」という概念とつながっていたのではないかと思うのです。お天道様が見ているということに対して、やはり不正直や不誠実ではいけないと、死してなお人々に生き方を説いたのが菅原道真公の恩徳であったようにも思います。

上杉謙信や吉田松陰、大義に生きた人たちは死んだのち神社に祀られます。生前の徳が死後にはっきりと観えることで周囲がその人物を神格化するのですが、言い換えるのならそれを神格化する人々の中にその大義を感じる力があるわけで何が忠であり何が義であるかを理解しているから祀るということでもあります。

古来からある大事なものを大事に優先して生きた先人の遺徳に自分たちも同様に生き方を見つめようとしたことでいつまでも篤く崇敬されていきます。全国に天神系神社が1万2千社あるのは、このように誠実や正直、忠義に生きることが大切だと深く信じる生き方をしようとした人々があるという証拠でもあります。

その後、天神様が学問の神様としての信仰が広く浸透していくようになったのは江戸時代に入ってからだといいます。江戸時代の寺小屋の様子を記した文献には、子どもたちが机を並べる教室に必ず天神様が祀られてあったことが記されています。それに寺小屋へ入学する子どもを必ず両親たちが天神様に参拝するという風習もあったといいます。

そうして次第に天神様は学問の神様から「子どもたちを見守る神様」に変化していきます。

また天神様といえば有名な童謡「通りゃんせ」があります。この通りゃんせは江戸時代に創られたもので作詞者は不明になっています。歌詞はこうなっています。

「通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ」

この歌詞の中の「この子の七つのお祝いにお札と納めにまいります」とは当時は今と違って子どもが数え歳7歳まで無病息災で無事に生き残ることが稀だったことに加え、その7つの時期を終えると半人前の大人になると考えられていたため7歳までは神様の内、7歳までは天神様の守護の内ということになっていたからだといいます。

おそるおそるその年まで油断なく子どもを見守った親心や、天神様に大切に守ってもらっているというお天道様への畏れもまたあったのではないかと私は勝手に想像していますが語り継がれる童謡の中には人の生死のどうしてもどうにもならないことの無常さも入っているようで複雑な心境もあります。

しかしこのように天神様が子どもを見守ってくださる神様になり、今でもそのままに子どもたちが無事に学問の道を歩めるようにと祈り願う人たちの信仰によって篤く崇敬されて引き継がれているのは間違いありません。

「7つまでの子どもを見守る」という意味では、私たちの本志本業もまたこの天神信仰の本質と合致しています。保育の時期を見守りの中で過ごした子どもたちが信じる心を持ったまま大人の社會の中で自分らしくあるがままに自然体に生きて助け合い、幸せで平和であるようにと願う思いに保育の道を祈ります。

今年の聴福庵で天神祭が保育道を実践する子どもを見守る先生方と共にお祭りができることに深いご縁と仕合せを感じています。

引き続きいただいている機会を学びのチャンスにして初心伝承に取り組んでいきたいと思います。