信仰の大元

古来から信仰というものは形を変えながら、あるいは変わらないままに人々の心に生きています。最近では、信仰という言葉もあまり使われず宗教とひとくくりにされていますが本来はそれは分かれていなかったものです。

信仰そのものが本来の姿であったものが、今ではわからなくなったきたのでしょう。

シンガーソングライター、俳優、演出家、タレントの美輪明宏氏は、宗教と信仰の違いを下記のように定義しています。

「神様と人間の間に立ち、中間の卸問屋をやって、こういう拝み方がありまっせーと言っているのが宗教。清らかで温かで美しく、厳しく強い、エネルギー体である神仏に対し、お力をお与えくださいと仰ぎ、日常生活のさまざまな出来事の中で自分自身をもまた神仏と同じレベルの魂にまで高めていく作業を信仰というのです。宗教と信仰の違いを見極めなければいけません。」

先日、ある霊山を訪ね参拝に登頂しているとき道の先々で見守ってくださっている50体のお地蔵様に榊やお花をお供えしながら拝んでいる人がいました。その姿は遠目にみても神々しく、挨拶をすると和かな笑顔で仕合せそうに返してくださいました。もちろん見た目だけや行為がどうこうではなく、信仰を見たような心持になりこちらが清々しい思いがしました。

全国にお地蔵さんがあり、そのお地蔵さんはその土地を離れずにいつも人々を片時も離れずに見守ってくださっています。現在は、あまりお地蔵さんが大切にされていないようにも感じあちこちで放置されたお地蔵さんを見かけます。

中心社の常岡一郎氏は、信仰をこう定義します。

「神仏を拝むことが信仰だと思っている人がある。しかし拝むことよりも、拝まずにはいられない心、これを育て上げることのほうが大切である。天地のめぐみを味わえる人になること、ご恩を強く感じること、それが合掌となり、拝まずにはいられない心がわく。これが信仰の本質である。」(常岡一郎一日一言:致知出版)

拝まずにはいられない心がわく・・

私も同感で信仰とは、何ものかの御蔭様でなんと今まで自分が無事であること、片時も離れずに常に一心同体に見守ってくださっている存在、そういうものを深く感じてその真心に対して拝まずにはおられない感謝こそが信仰の原点ではないかと思います。

少し何かをいうと宗教だとか、何かの信者かなどといわれる時代ですが本来日本人が古来から大切にしてきた習慣や真心が消えてそういうことが理解できなくなってきているともいえます。分かれていなかったものまで分解し分けてしまっては、一つであったものの存在が観えなくなっていくのでしょう。

もう一度、子どもたちに古来からの先祖の恩恵や見守り、そして智慧を伝承していくためにも原点回帰し、信仰の大元からやり直して磨き直してみたいと思います。