歴史は先生

歴史を学び直していると、後世に名誉回復した人たちがたくさんあることに気づきます。その当時は意図的に罪を被せられ歴史から消された人物であったとしても後世にその本当の業績や遺徳が遺志を継ぐ人物から見出され再び燦然とその価値が世の中に認められるのです。

菅原道真公もそうですが、他には楠正成公や最近になると杉原千畝氏なども有名です。歴史は勝者の歴史ですから、都合が悪いことはほとんどが燃やされて消されます。しかしのちに、その恩恵を受けた人々や遺徳を偲ぶ人たちが活動をしてその人の名誉を回復するのです。

同様に名誉回復をした人物に西郷隆盛があります。「敬天愛人」を貫き、人を相手にせず、天を相手にせよ、天を相手にして己を尽くし、 人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋ぬべしという一生を送りました。

その西郷隆盛も亡くなった後に、政争で破れて朝敵として歴史の汚名を受けていたところ明治天皇、黒田清隆、勝海舟をはじめ多くの人たちが名誉回復のために奔走していきます。

誠心誠意生きた人は、たとえ汚名をかけられていても必ずその汚名は恩恵を受けた人々によって浄化され澄んでいくのかもしれません。それはまるでもともと美しく澄んだものが、泥をかけられて見えなくなっていたとしても時という川の流れの中で水が泥を押し流して最後は透き通った砂利が見えてくるかのようにその本来の姿や真心が顕れてきます。真心は隠せず、真心はいつの時代も風化せずに永遠に時空に輝くのかもしれません。

歴史の面白さというのは、教科書通りに読むのではなく生き方を見つめよく深め、本当はどうだったのかともう一度見直して後世になってその価値を見つめ直す中で出てきます。

生き方を学ぶにも、未来を見通すとき歴史は常に私たちの先生です。

今の時代や世間の評価ばかりを気にして生きるのではなく、未来に生きる子どもたちのためにも歴史が観照することを信じて誠実に理念を貫いて実践していきたいと思います。

義の繋がり

天神祭の準備に向けて菅原道真公のことを深めていますが、残っている文献や資料からできる限り情報を集めてその功績や事績、そして和歌などからその人格や人柄を想像しています。

しかし歴史というものは、勝者の歴史といわれるようにその当時の権力者や政府が自分たちに都合の悪いところを消していきますから消されてしまうとほとんどが遺っていません。だから今の時代になって、改めて歴史を客観視して直視するとこれだけの偉大だと信仰されている人がなんの功績も出てこないのだろうかとしっくりこない人物もたくさんいます。

まさに菅原道真公はその代表でもあり、天神信仰をはじめ全国の天満宮に祀られ、学問の神様としてこれだけみんな崇敬しているのに和歌や遣唐使を廃止したことくらいしか遺っておらず、右大臣にまでなって政治を司り、その後の「延喜の治」と呼ばれるほどの治世の礎をつくり、国風文化の発祥の根源になったにもかかわらずその実の功績のところが歴史の表舞台に出てきません。

私が思うには、過去にこれだけの人々から1100年以上尊敬され今でも篤く信仰されている人物がちょっとしたことだけでそこまでになるとは思えません。菅原道真公も、その当時の人々のことを心から思いやり仁慈をもって接した立派な方でさらに大義を貫く生き方が美しくまるで神様のようだったからこそそのままに神格を持ったのではないかと思います。

実際にわかっているのは「昌泰の変」にて901年1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした事件があったということ。その後、権力を醍醐天皇と藤原時平が握ったこと、そしてそれから10年も経たずにまた宇多上皇と藤原忠平に権力が戻ったこと、そして菅原道真公の名誉を回復した流れになったことは書かれた通りであることが分かります。

ただしこれもまた勝者の歴史ですから、真実はどうだったのかとなるとそのまま鵜呑みにすることはできません。しかし菅原道真公が、どのような学問をし、何を愛し、どのような生き方をしたのかは、その遺した言葉や、その当時に関わりのあった弟子たちや同志たち、子孫たちによって語り継がれていきます。

これは幕末の吉田松陰のように、弟子たちが師がどのような人物であったか、弟子たちがその後、政治の中で如何に自分たちがその恩恵を受けたか、そして師の遺した文章にどれだけ励まされたか、そのようなものが信仰としていつまでも遺ります。

その当時、菅原道真公の学問の弟子たちが官僚の多くを絞め、道真公亡き後も志を持って政治に中ったように思います。だからこそその後に延喜の治と呼ばれるほどに平安文化が発展していったように思うのです。

菅原道真公をいつまでも信仰するのは、今の日本があるのはその当時に道をつけてくださった恩師のことをいつまでも忘れまいとする子孫たちの「義の繋がり」なのでしょう。

ただの学者ではなく、本物の学問を志した人物としての菅原道真公は実践を重んじた方です。だからこそ、その至誠が天に通じ、天神様となったのでしょう。まさに至誠の神様と呼ばれる由縁です。

私にとっても特別な存在になったこの天神様は、国家鎮守の風土と共に氏神様としていつまでも子どもたちを見守ってくださるように祈りを奉げていきたいと思います。

 

学び直し~刷り込みからの脱却~

幼いころから正解を求められて生きていると、正解思考の刷り込みを持つものです。正解思考とは、どこかに正解があると信じ込まされるということです。正解を知ることが目的になっていると、本来の意味やその価値よりも正解に囚われ正解を出すことが目的になります。

例えば、学校では教科書がありそこに書かれているものが正解だと信じ込まされます。すると正解を知ることが正しいことであり、正解が分かると褒められ評価してもらえます。発明王のエジソンが昔、1+1=2であると教師に教えられたとき1つの粘土と1つの粘土をくっつけて2ではないというと気ちがいだと罵られ退学させられた話があります。

正解かどうかよりも探求することや、なぜそうなるのかと実験をすることを目的にしてしまえば正解を持っている側からすれば厄介な人物になります。この正解思考とは、人工的に育てるときには重宝されます。特に優秀な生徒と褒められる人ほど、自分は先生の言うとおりに正しいことをしているのだから間違っていないと信じ込んでいるものです。

しかし本来の学問の面白さは自分は間違っているのではないかと正解を疑い正解までのプロセスの中で学ぶことが自分の成長の喜びや本質的な学びの味わいのように私は思います。AIなどいよいよ人工知能がでてきて、人間以上に暗記するだけでなくその知識を縦横無尽に大量のデータを構成して活用できるようになるからこそ人間本来の意味や智慧がまさに必要になってきます。

正解だけを植え付けられ、正解だけを求めてそこにたどり着くことを目的にすればできれば良し、できないところはなくせばいいというように常に優劣の思想に囚われます。そうなってしまえば、優秀か劣等かだけが物事の基準になり少しでも優秀であれば自分が救われると勘違いしてしまいます。

言われたことしかしなくなるリスクというのは、根底にこの正解思考の刷り込みがあるようにも思います。間違っていないと正解を信じ込むよりも、自分は間違っているのではないかと自分を疑うことが探求心の入り口であり成長の切っ掛けです。

学び直しというのは、知識の詰め込みでは得られないものです。何を間違っているのかと常識を疑い、何を思い込んでいるのかと刷り込みから脱却することで、物事の本質やありのままの真実が浮かび上がってくるものです。

あのエジソンや、世界の発明家たちは人工飼育することができなかったいわば障害だったのかもしれません。しかしその障害こそ特殊能力であり、天才と呼ばれる天から与えられた天性を死ぬまで維持できた自然野性人間だったとも言えます。

自然というものを壊すのは人工というものです。人工的に作られた自分で満足するのではなく、正解を超えて自然の未知に触れていこうとすることが新しい時代を歩む人類の生き方になるのではないかと私は思います。

刷り込みを取り払うためには「学び直し」が必要です。今までの人生の学び詰込みではなく文字通り「学び方を直す」のです。それは今までの学び方を捨てて、新しい学び方にすること。間違っていないと正解を信じる生き方をやめ、間違っているのではないかと自分を疑えということです。

思考停止して指示待ち人間で一生を終わることがないように、その人一人ひとりが自然体に自分らしくいられるように子どもたちには正解よりもプロセスを、そして優劣よりもそのことの意味を感じられるように素直に謙虚に学び直しを続けていきたいと思います。

 

指示待ちの刷り込み

刷り込みの大きな一つに、「言われたことしかしない」というものがあります。仕事は、誰かから指示されてすることが仕事だと思い込んでいる人は、まさに文字通り指示待ち人間になってしまいます。

教育によって、誰かに何かを指示されることが当たり前になってしまうと指示されることが当然だと思い込んでしまいます。そうなってしまうと、自分から何かをやろうとは無意識にしなくなっていき指示が来てからはじめてやってもいいんだと思い込むようになります。

しかしよく考えてみると、指示を出す人というのは何かを考えて指示を出してきます。そこに参画するには指示待ちで指示が出てから考えればいいのではなく一緒に考えているから指示をはじめて理解して指示通りに行動することができてきます。つまりは言われたことだけやればいいのではなく、如何に言われたこと以外のことを考えているかで言われたことだけを正しく行うことができるのです。

よくあの人は言われたことしかやらないとか、言われたこともできないとか言われるのは刷り込みによって思考が停止させられているからだとも言えます。

まず指示が来てからが仕事ではないということを自覚し、「一緒に仕事をしているのだ」ということを強く持ち、「本当は何か、相手のニーズは何か、目的はどうなっているか、その手段はどうするか」と共に考えることが仕事であってもっとこうしたらいいのではないかと具体的な提案をし主体的に動くことが本来の仕事であると定義を変えるしかありません。

なぜ指示待ちで受け身がよくないかといえば、一緒にやっていないからです。一緒にやるというのは言われたことをやるのが仕事だと思い込みただ遂行すればいいのではなく、その仕事を他人事にせず自分の仕事だと思って相手以上に考えていく癖をつけることです。

当事者意識といいますが、もしもこれを自分がやるとしたらと考えていればそれは一緒に考えているということです。どこか相手から言われたら考えればいいや、相手が指示をくれれば動けばいいと思っていたらその仕事は他人事になってしまいます。

仕事は、自分の立っている部署や場所からみればその仕事が全体のように見えるものですが、実際は全体から観たり、高所から観ればどんな仕事も細部までつながって全体を形成しているのです。だからこそ自分の見えるところだけで与えられたところだけでそれを指示通りすればうまくいっているのではなく、全体から自分を見てみるとそれはとても大事な指示なのがわかりますから一緒に全体のために働くことが自分事にするということです。

大きな会社ならまだしも小さな会社で働く場合は、近くに経営者がいますから何処を観ているのか、この仕事の本当の目的が何かなど、一緒に考えていく中で近づいていくことができます。

主体性を取り戻すのは、刷り込みを取り払い他人事をやめてしまうということです。そのために必要なことこそが、チームや協力していくことであるのは明白なのです。

引き続き実践をしながら、実験を続けていこうと思います。

 

伝承の意味~何のために~

昨日の西日本新聞の記事で下記のようなニュースが流れました。

「山梨県笛吹市の送り盆の行事「甲斐いちのみや大文字焼き」で16日、火の代わりに「大」の形に並べた発光ダイオード(LED)が点灯された。火をともす足場が風雨で滑りやすく、安全性を考慮して今年から切り替えた。同市観光商工課は「送り火のLED化は全国でも珍しいのでは」としている。甲斐いちのみや大文字焼きは、江戸時代に行われていたものを1988年に再開。実行委員会などによると、昨年までは山の斜面に木で組む井桁で火をともしていたが、延焼しないよう見守るスタッフを置く斜面は、足場が不安定だった。」

送り火をLEDに換えるという記事ですが、一見読んでいると安全面を配慮しと書いているのでそれはそれで理由は理解できます。しかし本来、何のために1988年に江戸時代に行われていたものを再開したのかの理由が失われているのがわかります。

事物にはその事物を行う優先順位というものがあります。何をもっとも優先するかというのが理念であり、その理念を優先するから本物が遺り続けて伝承の意味が出てきます。

どの時点で伝承が終わるかといえば、本質がすげ換ってしまうときです。報道と共に「大文字」の火とLEDが比較されていましたが明らかに品がなくなっているLEDを見てこれを見て江戸時代に行われていた送り火の意味は感じることはないだろうなと改めて思いました。

現代は、代用品があふれ似て非なるものばかりで構成される世の中です。価値観もそれでいいと思っている人が増えていますから、本物風や本物らしいものでもいいと思われがちですがそれは本物ではないのは火を見るよりも明らかです。

たとえば、室内植物なども手入れが面倒だからと造花などで誤魔化して一見、緑が多いと感じますが本来の植物が持つ癒しの効果はまったくありませんし美しさも似せているだけで自然物の持つ自然美はありません。

優先順位や理念を見失えば何のためにやっているのかがわからなくなるものです。そうやって何のためにを考えない人が増えれば、すぐに他の優先順位が上がってきます。それが目先の課題の解決であったり、身近な不平不満を解消するものであったりが正しいことになり、それが正論として誰も反対することもなくなり、なし崩し的に消えていくのでしょう。

そもそも何のためにそれをはじめたのか、こういう時こそ一度みんなで考え直す必要がありますし、初心が伝承されなくなった理由が自分たちの都合ではないかと自分自身を見つめ直す必要があると私は思います。

伝統を継承するものとして、如何に意味を間違えないで維持し続けるかは先人たちの思いをそのままに受け継ぐ資格を持てているかと自反慎独して本質を大切に守る必要があると私は思います。

引き続き、時代が変わっていく中でも変えていいものと変えてはならないものを判断し伝承の意味を深めていきたいと思います。

お地蔵さんの修行

毎年、夏になると私はいつも仏陀の教えや観音菩薩のことを深めるご縁が多かったように思います。夏の厳しい暑さと強い日差し、お地蔵さんの線香の薫り、また蝉の鳴き声を聴けば無常さを感じることが多いからかもしれません。

私は幼いころから、近所にあるお地蔵さんがとても好きでいつもお参りしていました。大人になった今でも、そのころの初心や習慣は失われずいつも心が其処に向かい気が付くと足を運んで拝んでいます。拝むという心は、自分以外の観えない存在を身近に感じる一つの仕組みのようにも思います。

毎日、拝んでいると当たり前ではないことや御蔭様に助けていただいていること、また有難い恩恵をたくさんいただいていることなどを実感して日々の過ごし方や受け取り方が変化していきます。日々は小さな実践かもしれませんが、今の自分を形成し心を成形してくださっている基礎になっています。

大人になって私が仏教で最初に感動したのは、観音信仰との出会いです。日本では飛鳥時代より観音信仰が弘がり、時代地域を問わずに今でも観音様として人々に親しまれています。

観音様の徳は、救うべき相手に応じて仏身から王や龍や夜叉にもなり、三十三種類の姿に変えてまで衆生を救う『観音の三十三身』の方便力を持つといいます。この三十三は、無限の数でもあります。そこから千手千眼観音様も顕現してきて、ありとあらゆる姿とありとらゆる方法で人々を救う菩薩と信じられました。その徳はまるで水の徳であり、水がすべてを受け容れてあらゆるものに形を変えていのちを救っていく姿と重なっているかのように思います。

日本は水が豊富で、あらゆるところに水が湧きます。その湧水の傍には観音霊場が多いのも、水の徳と観音様を合わせて拝んでいたからかもしれません。

観音様の教えに六波羅蜜というものがあります。これは人間は、その宿命として六道というものを歩むことになります。これは天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道といって、それぞれに苦しみの道があるといわれます。例えば、修羅道はいつも誰かと争いをしている世界、畜生道は理性を失っている世界、餓鬼道は飢えで苦しんでいる世界などそれぞれの苦道があります。これを六道輪廻といい、それを潤繰りを巡りながら私たちは日常を過ごしているとも言えます。これらの欲の渇きを潤すためにさらに罪を重ねていくのが人間の業ですから、これを砥石にどのように人格を磨いていけばいいかが私たちが問われている課題でもあります。

山伏が六根清浄といいながら山を歩き修行をするのは、この六道の渇きを清め給えといいながら歩んでいるともいえます。この六道から救ってくださるのが観音菩薩の徳であり、どのような清めと浄化の実践が最も効果があるのかを六波羅蜜の中で教えてくれます。

そこには布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、という実践を行うことで磨くようにと書かれます。つまり布施は、文字通り奪うよりも与える生き方を、持戒は、自ら決めた戒めを守ること、そして禅定は精神を乱さず平常心を保つこと、智慧は自然の法則を学ぶこと、忍辱は耐え忍ぶこと、そして精進は慢心せずに継続努力を怠らないことなどがあります。

例えば、現在が天上道であれば精進を実践し、現在が人間道であれば智慧を実践し、現在が修羅道であれば持戒を実践し、現在が餓鬼道であれば布施を実践し、現在が畜生道であれば禅定を実践し、現在が地獄道であれば忍辱を実践する。つまり修行というものはこれらの苦道の中で何を行うか、つまり実践のことを言います。

その修行を見守ってくださっているから一緒にやりましょうというのが観音様の存在のように私は思います。どうにもならないけれど一緒に歩んでくれる人があるという思いやりや真心は、そのこと自体が苦を和らげ道を楽しくしてくれます。

業から逃げるのではなく、業を避けるのではなく、その業をどう味わっていくか、ここに人間の一生の妙味もまたあるように感じます。引き続き、実践が多く実践ばかりと辟易されることもありますが一緒に歩んでいる仲間がいることを伝え、また菩薩のように先に歩むだけではなく一緒に歩んで導いていこうといった思いやりに生きる姿をお地蔵さんから学んだからこそその教えを実体験をもって伝承していきたいと思います。

精霊の伝承

本日で盂蘭盆会が終わり、いよいよ送り火をしてご先祖様を送り出します。私の小さい頃は近所の川に精霊送りというものを行っていた記憶がありますが、今ではゴミ問題などがあり禁止になっています。これは藁で作った舟にお供え物や飾り物を乗せた精霊舟、またたくさんの灯篭を流して、さらに病気や災いも一緒に流すという意味があったといいます。

送り火というのは御先祖様があの世に帰るときにその火に乗って帰られるからと信じられています。火と共に訪れて、火と共に帰っていくという仕組みですが火の精霊を通して私たちは御先祖様の心を静かに感じ取っていたのかもしれません。

古代の日本人は常に精霊と共に暮らしを営んできたといいます。精霊とか幽霊とか今はそれは非科学的だと馬鹿にする人もいますが、それは現代ではかつてからの信仰が変わってしまったからに他なりません。

精霊については感じるものですが、その説明書きはウィキペディアに書かれています。

『古代日本では自然物には生物も無生物も精霊(spirit) が宿っていると信じ、それを「チ」と呼んで名称の語尾につけた[2]。古事記や風土記などの古代文献には葉の精を「ハツチ(葉槌)」、岩の精を「イワツチ(磐土)」、野の精を「ノツチ(野椎)」、木の精を「ククノチ(久久能智)」、水の精を「ミツチ(水虬)」、火の精「カグツチ(軻遇突智)」、潮の精を「シオツチ(塩椎)」などと呼んでいたことが知られている。また、自然界の力の発現はその精霊の働きと信じ、雷を「イカツヂ」、蛇を「オロチ」などと呼んだ。こうした精霊の働きは人工物や人間の操作にも及び、刀の力は「タチ」、手の力は「テナツチ(手那豆智)」足の力は「アシナツチ(足那豆智)」、幸福をもたらす力は「サチ(狭知)」などと呼ばれていた。人間の生命や力の源が、血液の「血」にあると信じられたところに、「チ」が起源しているとも言われている。土(ツチ)、道(ミチ)、父(チチ)も同じ考えが表現されたものと見ることができる。また神話や古代氏族、とりわけ国津神系の氏族の祖先には「チ」を名称の語尾につけているものが見出される。神話では「オオナムチ(意富阿那母知)」や「オオヒルメムチ(大日霎貴)」、氏族では物部氏の「ウマシマチ(宇摩志麻治)」や小椋氏の「トヨハチ(止与波知)」などである。神名や人名の語尾(正確には「〜神」、「〜命』の前の語)に「チ」がつく名前は最も古い名前のタイプで、草木が喋ると信じられていた自然主義的観念の時代を反映しているものと考えられている』

諺に「一寸の虫にも五分の魂」とありますが、小さな小虫や道具や物に魂がないと粗末にすればひどい目にあうものです。

日本人は精霊を信仰していたのは、火や水、土や風も生きていると感じていたからです。自然から離れればそんなものは感じないのでしょうが、自然と一体であれば他の虫や植物、動物たちのように水や風の流れを感じて暮らしを営むのでしょう。

古代の日本人の先祖がどのように生きてきたか、私はこの迎え火と送り火の中に感じます。この期間、私も常に炭を熾して火をかけていますがこの火の周囲に落ち着いた明かりが灯ります。

御先祖様が感じた光、ご先祖様のぬくもりを今に感じながら子孫のために私も先祖になっていきたいと思います。

 

土から学ぶ

先月から郷里で伝統を受け継いでいる三代目の左官さんが、古民家の漆喰をすべて塗り替える作業を進めてくださっています。糊も海藻からつくり、漆喰も古来からの調合で仕上げていくというかつての伝統に沿って取り組んでくださっております。

現在の住宅では、漆喰の壁というものをあまり用いられなくなり若い左官さんは漆喰を塗った経験がある人も少ないそうです。もっぱらモルタルやセメントなどの塗りが多く、かつての伝統的な土壁の仕事は年々減っているといいます。

日本古来からある伝統的な家屋が失われていけば、それまで伝統と共に先祖の智慧を紡いできた職人さんたちの仕事が失われ大切な伝承ができなくなってきます。家は自分のためだけに建てるのではなく、先祖から子孫にいたるまでずっと長くこの気候風土の中で幸福に過ごしてほしいといった先祖たちの祈りと共にあるようにも思います。ただ安いからや便利だから、見た目がよく流行りだけで飛びついてしまえば建てるという本来のプロセスや意味を素通りしてしまいます。

現在の住宅は平成8年当時の国土交通省が発表した『建設白書』によると、日本の住宅の平均寿命は26年だといわれています。これは1920年代に化学接着剤が発明されそれから50、60年前に尿素系の化学接着剤で合板というものが市場に出て住宅用建材として多く使われたといいます。 このような住宅建材としての合板普及が日本の住宅の寿命を短命にしたといわれます。他にも短命になっている理由はコンクリートも中の鉄筋が腐食することで建物の強度は落ちますし、シーリングやコーキングも劣化により隙間から結露が入ってきます。

古来からの湿式工法は、気候風土、自然素材を相手に作業をするので職人の技量の差がでてきますが乾式工法はマニュアルどおりに施工すれば、ある一定の水準は維持できます。大量生産大量消費の考え方は、家にも入り込んできていて誰でも簡単便利にプロ風にできて早く安いものが主流になっているのです。それに会社側のお金の観点で見ても乾式工法の方が早く建てられ壊しやすく、また年数経てば建て替え需要もありますから迷うことなくそれを進めていくのでしょう。

改めて家を建てるのに何を基準にするか、誰も疑問に思いませんが物を正しく買うことと同様に観点を間違ってしまえば間違えた通りの家になってしまうということだと私は思います。家は人生のパートナーですから、どんな家に住むかで一生の運気が左右されてしまいます。

今回の古民家甦生では以前からあった漆喰を剥がして新しい漆喰に塗り替えていきますがその下地には120年前に塗った藁が入り混じった荒土が出てきます。その分厚い荒土に触れていると、歴史を感じ、この土が長い間のこの土地の風土に順応し、呼吸をして今でも息づいているのを感じると風土と一緒一体になって私たちと共に生きている家のいのちを感じます。

梅雨から夏の終わりにかけて大量に発生してくる水分を溜め込んだ土は、秋から冬にかけてそれを吐き出していきます。温暖湿潤気候の日本の風土で、年間を通して一定の湿度を保ってくれている家はとても快適そのものです。

吉田兼好が徒然草の中で、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」といいましたが冷暖房をフルに使って電気代をかけて密閉住宅に住むというのはかえってお金がかかってしまうでしょう。お金をかけまいと乾式工法を選び、お金がかかる家に住む現代をみて吉田兼好はなんというでしょうか。

結局は、伝統というものが崩れていく背景にはこのお金というものの新しい価値観によって左右されていくということだと私は思います。これからさらに仮想通過やAIの出現により地域や風土を無視したものが増えていくと思いますが、振り子のように帰って本来の原点に回帰しようとする学び直しも出てきます。

一足先に取り組みつつ、時代の変わり目に子どもたちに大切なものを伝承していけるように思想も生きる姿勢も磨き直していきたいと思います。

小さな種火

日本には古来から民族が信仰してきた伝統があります。それはいつはじまったものか、誰がはじめたものかは神話までしか遡れませんが今でも日本人の暮らしの中に残存しているものです。

例えば、八百万の神々というものや自然への畏敬を崇拝しているところにも観られます。私たちは無意識に山川草木のすべてにカミを見出し、すべての物にも魂が宿っていると信じて勿体ないいのちと大切に接してきた民族だといわれます。

その根底にある古来からの信仰が日本の伝統的なしきたり、年中行事の根底に息づいているともいわれます。それがここにきて、西洋から流入した生活文化に影響を受けかつての伝統のしきたりも年中行事も失いかけています。それはグローバリズムの影響を受けたのは一目瞭然ですが、未来の子孫の安らかな暮らしを思うとき、私たちの世代で体験し気づいて反省したことを私たちの世代で改善していかなければと強く思うのです。

大きなことを言うのは簡単ですが、一人ひとりが自ら気づいてそれを実生活の中で改善していくことが世界を易えていくことです。そういう意味で伝統的なしきたりや年中行事を現在の暮らしの中に甦生させ創新することは最終的な世界の平和にも貢献していくことができます。

ハチドリの一滴ではないですが、民族の文化甦生の小さな日々の実践こそが世界の平和、人類の共生と繁栄に偉大な影響を与えると信じているから私たちは暮らしの甦生に取り組むのです。

話を戻せば、住環境の変化というものは古民家甦生を通して改めて実感することばかりです。昔は、農耕を主としその土地に住み、その土地から離れることはありませんでした。自分たちが生まれた土地を守ってくれる神を産土神とし産土神を祀る社を作り崇拝するようになりました。その土地に根付く存在として、その土地と共に大切に歩むという古来からの精神も美しい風土を守るための智慧の一つです。

今では若い人はどこにでも引っ越していきますし、マンション住まいになれば仏壇も神棚も置かなくなり、床の間もなく年中行事なども失われています。数千年、あるいは千何百年もずっと続いてきた伝統的な暮らしが失われる責任を私たちは感じなくなってきているのかもしれません。

民族が大切にしてきたものがなくなるというのは、民族がなくなるということです。日本民族が世界の中で多様性の一つとして世界貢献に発揮するためには私たちはその文化を今の時代でも昇華して世界に発信していかなければならない使命があります。子孫を思うとき、子孫はその伝統に見守られ世界で活躍していくのです。

改めて、日本民族の古来の信仰を学び直しそれをどんな小さな形でも子どもたちに譲り遺していけるように小さな種火を探し出しその火を絶やさないように守り続けていきたいと思います。

お盆の発祥

昨日からお盆に向けて、いつも見守て下さるご先祖様を迎え入れる準備をはじめています。よくお掃除をしてお供え物や迎え火、送り火の準備、そのほか様々なことを整えてこの期間を心静かに過ごします。

そもそもこのお盆とは何か、少し深めてみようと思います。

お盆という行事が最初に日本で行われたのは推古天皇の時代、606年だといわれます。日本古来の祖霊信仰とインドから入ってきた仏教が和合し、このお盆という行事が私たちの暮らしに定着しました。

このお盆は旧盆というものがあり、旧暦の7月13日から4日間ほど行われていました。しかし、その時期はちょうど農繁期で忙しくそれを遅らせようと明治以降からこの8月13日からの4日間をお盆の期間としたそうです。なのでこの時期は、月遅れの盆といいます。先日参加した京都の祇園祭は、旧暦のお盆と同時期に行われていましたから明治以降に暦が変わり行事の時期も変化したのが改めてわかります。

本来、行事の日程というのは古来よりその日でなければ風土や気候、自然との関係が薄れることから簡単に日程の変更はしてはならないものなのですが現代ではその辺の日時も珍紛漢紛になっているものが多く意味も薄れていっているようにも思います。

ご先祖様が故郷に帰ってきてくださる時期をこちらの都合で遅らせてもらうというのも微妙な気もしますが、どちらにしてもご先祖様への感謝の行事として私たちはこの時期はご先祖様の存在を身近に感じることができるように思います。

もともと「お盆」という呼び名は、インドで発祥した仏教の経典を中国の竺法護が訳した『盂蘭盆経』に由来する「盂蘭盆」が省略された言葉です。その盂蘭盆経にはこう読まれます。

『釈迦様が祇園精舎におられたときに、目連が初めて六神通を得て亡き父母に何かできないかと思った。その霊視力をもって世間を探した所、亡き母を餓鬼たちの中にみつけた。飲食も取れず骨と皮で立っていた。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って母のもとへ持っていった。母は御飯を得て、左手で鉢を支え右手で御飯を食べようとしたが口に入れる前に炭に変ってしまい食べることはできない。目連は大いに泣き叫び、釈迦様の所に帰って、このことを報告した。

お釈迦様は言うことには、あなたはお母さんの罪は重かったようだ。あなた一人の力ではどうにもできない。あなたの孝順の声が天地を動かし天や地の神々、邪魔や外道・道士に四天王まで動かしてもどうにもならない。まさに十方の修行している僧の力が集まれば解脱することができるだろう。これから救済の方法を教えよう。それですべての苦しみや憂いも消えるだろう。

お釈迦様は目連にこう言った。十方の衆僧が、七月十五日、「僧自恣」の日、まさに七世の祖先から現在の父母まで、厄難中者のためにつぎの物をお供えしなさい。御飯、多くのおかずと果物、水入れ、香油、燭台、敷物、寝具。世の甘美を尽くして盆中に分け、十方の大徳・衆僧を供養しなさい。この日、全ての修行者は或いは山間にあって禅定し或いは四道を得、或いは木の下で歩き経を上げ、或いは六種の神通力で 声聞や縁覚を教化し、或いは十地の菩薩が大人になり、神になり比丘になって大衆の中にあるのも、みな同じ心で、この御飯を頂けば清浄戒を守って修行する人たちのその徳は大きいだろう。これらの供養を「僧自恣」の日に父母も先祖も親族も三途の苦しみを出ることができて時に応じて解脱し、衣食に困らない。まだ父母が生きている人は、百年の福楽が与えられるだろう。もう既に亡い時も七世の祖先まで天に生じ自在天に生まれ変わって天の華光に入り、たくさんの快楽を受けられるだろう。

その時お釈迦様は十方の衆僧に命じた。まず施主の家のために呪願して七世の祖先の幸せを祈り坐禅をして心を定めしかる後に御飯をたべよ。初めて御飯をたべる時はまずその家の霊前に座ってみんなで祈願をしてから御飯をたべなさい。その時目連や集まった修行者たち皆大いに法悦に包まれ目連の泣き声もいつしか消えていた。

目連尊者の母は、この日をもって気の遠くなるような長い餓鬼の苦しみから救われ得た。目連はまたお釈迦様に言った。将来の全ての仏弟子も私を生んでくれた父母は、仏法僧の功徳をこうむることができた。衆僧の威神力のお陰である。将来の全ての仏弟子もこの盂蘭盆を奉じて父母から七世の先祖までを救うことができる。そのように願って果たされるでしょうか。

お釈迦様は答えて言う。

いい質問だ。今私が言おうと思ってたことを聞いてくれた。善男子よ、もし僧、尼、国王、皇太子、大臣、補佐官、長官、多くの役人、多くの民衆が慈悲、孝行をしようとするなら皆まさに生んでくれた父母から七世の祖先までの為、七月十五日の仏歓喜の日、僧自恣の日において多くの飲食物を用意して盂蘭盆中に安じ十方の僧に施して、祈願してもらいなさい。現在の父母の寿命が伸びて病気も無く一切の苦悩やわずらいも無くまた七世までの祖先は餓鬼の苦しみから離れ天人の中に生まれて福楽が大いにある。

お釈迦様は善男善女たちに告げて言った。

この仏弟子で孝順なる者はまさに念念の中に常に父母を思い七世の父母までを供養しなさい。毎年七月十五日に常に孝順の慈をもって両親から七世の祖先までを思い盂蘭盆を用意して仏や僧に施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい。もし一切の仏弟子とならばまさにこの法を奉持しなさい。この時目連、男女の出家・在家はお釈迦様の話に歓喜し奉行した。』

このように仏陀の説いたものが盂蘭盆経の中に記されています。

どんな意味があってこのお盆という行事が生まれ、何が起点になっているのか、古来を深めるということは先祖につながるということです。

引き続き子どもたちのためにも、お盆の行事を学び直してご先祖様との邂逅を味わっていきたいと思います。