徳気

古語に「短気は損気」という諺があります。すぐにイライラしたり怒ったりしていたら結局は自分の損になるというものです。他にも「短慮功を成さず」のように、焦ってなんでも長期的配慮に欠ければ成功もしないというものもあります。他にも浅い考え方では、何も成功させる事はできないということでもあります。

この「短気」というのは説明すれば忍耐ができず、すぐに怒ったり飽きてしまったりする状態のことをいいます。 同義語には「気が短い」「気が早い」などがありすぐに結果を求めてしまいたいところがあります。

この短期の反対は「気が長い」という語はのんびりとして焦らないことを指し、時間をかけてじっくりと醸成するものを待つという状態です。短気は感情だけで動かしますが、気長に待つには根気とプラス思考、それに心の余裕やゆとりが要ります。

心の余裕やゆとりは、信じる心が先にあり、信じているから待つことができます。逆に不信や不安になると、ゆとりと余裕がなくなり焦り短気になります。感情に呑まれるのもまた、不安や焦りが出ているからだとも言えます。

私も何度も同じ現状が変わらずに、繰り返され変化がないと短気をおこして怒ってしまうことがあります。その後は、反省して恥ずかしいことをした、なんであんなに怒ったのかと後悔したりもします。よく考えてみると、相手は自分が自ら気づかなければ反省もなく、改善もなく、変わることもないのだから自らの気づきを根気よく待つしかありません。

気づかないのになぜ変わらないのかと怒ってみても、それは自分の気づかせることができない短気が原因であり、それが損気になって何事も悪循環を生んでいるということです。

時間がかかる人もいれば、パッと気づいて変わる人もいます。時間をかけた分、気づいたらそれを一生大事にする人いれば、気づいてもすぐに忘れてしまったまた同じことを繰り返す人もいます。

気づき方も人それぞれに個性がありますから「福は寝て待て」の心境で、そのうち気づいてくれるだろうと気長に待つ力を自分が磨いていくことがいいように思います。気長に待つという忍耐力は、これでいいとすべてを丸ごと受け容れる器を育てるということです。

はじめから簡単に思い通りに育つ人などはなく、その人が主体的に自分から取り組んだ分だけその人の気づきの質量が変わるのだから大切なのは「自分で気づいて反省すること」を繰り返していくだけです。相手に求める暇があるのなら、自分が先に反省した方が「徳気」を磨けます。これは私の造語ですが気長は得気、自省は徳気ということです。

聴福人として、待つことで徳を磨き、短気を反省することで己の足らざるところを恥じ、今日もまた己に克つ挑戦をし、自らの徳気を高めていきたいと思います。