包丁の続き

先日、包丁のことを書きましたがもう少し書き足しておきたいと思います。そもそも包丁の歴史をかんがえてみると、はじまりは古墳時代にある石器によります。先の尖った石で食材を切っていたことが古墳から出てきています。

その後は、製鉄技術が発展し日本刀を経て今の包丁になっていきました。しかし包丁の質と量でいえば、かつての日本の暮らしや和包丁の方が遥かに発展しており、今の便利な三徳包丁一つで済むようなものとは異なりました。

なぜ和包丁が減っていったかと洞察するとこれは明治時代の文明開化の際に日本人が西洋食を中心に食べるようになったことが関係があります。西洋の料理は肉が多く、包丁も西洋式の牛刀を用います。これは肉には健などの固い部分がありますから体重をのせて切りますから和包丁のように引いて切るものではありません。しかし牛刀だけでは野菜や魚を切ることが難しいのでその後、万能包丁として三徳包丁というものが発明されその一本ですべての食材を切るようになってきます。

この三徳包丁の特徴は、肉や魚を捌きやすいように切っ先は尖り気味で刃先は反っています。ただし野菜の千切りなどにも対応できるように、刃の反り具合は非常に緩やかにできています。つまり西洋の牛刀と日本の菜切包丁の「良いとこ取り」をしているからこそどんな食材でも楽に切ることができるという訳です。

しかしこの万能包丁はホームセンターに販売されているその他の便利な道具などと同じで誰でも簡単に素人でもプロのように使えるというもので本格的にプロが使おうとすると使いにくいものになります。

三徳包丁は万能ですが、しかしやはり和包丁のようにその食材に合せて造られたものではないわけですからすべてが100点満点ではなくすべてにおいて平均以上くらいの使い勝手があるということです。万能は言い換えれば、可もなく不可もなしとも言えます。

私は「持ち味を活かす」という方に特に興味がありますから、全部が平均であるよりも強みも弱みも併せ持っているものの方がそのものらしいあるがままの個性が発揮され、みんなと一緒に存在する全体の中で活かしあえますから多種多様な包丁の方が豊かで楽しく感じます。

いくら三徳包丁があるからとはいえ、肉はやはり牛刀の方がよく、魚は出刃包丁、野菜は菜切包丁の方が本来の使い手にもよく、食材にもよいのは明らかです。なんでも誰にでも便利な方へと価値観が変化したのが明治時代以降だということが包丁文化からも観えてきます。

この明治時代以降の食文化の変化と共に包丁文化も失われてきましたが、今一度、明治時代の前がどうであったのかを学び直し、便利さを追求した先に合った今はどのように豊かになったのか、本来の私たちの先祖が大切にしてきた生き方や暮らしはどうだったのかを見極めていく必要を感じます。つないでいく文化の担い手は今を生きている私たちだからこそ、文化を知ることは自分のルーツを知ることなのです。

子どもたちに日本の文化を伝承していくために、身近な道具から学び直していきたいと思います。