木と水はいのちの父母

以前、佐賀の老舗漬物店で譲っていただいた50年前の奈良漬けの大樽を加工して聴福庵のお風呂に甦生したのはブログで紹介しましたがその際に半分に切ったものが桶屋さんに置いたままだったのでそれを受け取りにいきました。

だいぶ壊れてしまいましたが、これをまたみんなで別の活かし方がないかを考えて甦生していきたいと思っています。

昨日は桶と樽の違いについてじっくりと話をお伺いする機会もありました。最近ではあまり見かけなくなった桶や樽には、その用途にも違いがります。簡単に言えば日常の暮らしの中で身近に置いてあるのが桶です。そして樽は、酒・醤油などを入れ、保存・運搬などどちらかといえばお店や業務用として用いられました。

また樽は蓋が閉じられた容器が多いのに対し、桶はおひつや寿司桶など蓋が閉じられていない容器であることが多いです。また側板に板目板を使うのが「樽」であり、柾目板を使うのが「桶」になります。この板を横に切るか縦に切るかは木の特徴を活かし、水が滲み出すか滲み出さないか、蒸発するかしないかなど見極めています。

そうしてみると酒樽や醤油樽は、水を用いますから水が滲み出さないように板目でなければなりません。そして水を長期間保管し長く使うものだから樽となります。そして桶は水気をなるべく通し乾かすためには柾目であった方が水が滲み出し使い勝手がよくなります。また鉋をかけて表面を滑らかにし、乾きやすく短時間何回も使うものが桶になるのです。

桶職人や樽職人は、木の職人ですが木を活かす精神を持つ日本文化にとって本当に譲り遺したい大切な技術を持った方々であるのを改めて感じます。現在は中国をはじめ東南アジアから機械で大量生産され表面を化学塗料でコーティングされた桶がたくさん輸入されて価格が壊れて古来からの伝統の技術も職人さんたちも失われてきています。私たち日本人が本物に触れて日本の文化を守ってほしいと祈るばかりです。

また最近は日本文化を深めていると、この日本が木と水によって醸成されてきたのがよく分かってきました。森を活かし杜を守る、神社がこれだけ全国各地にあり土地の水と木を大切にしてきたのはこの日本の風土の中心に常に「水と木」があるからです。

この森は、あらゆる生き物たちを活かす存在です。そこから流れていく水が、最後には海のあらゆる生き物たちを繁栄させていきます。森があるから肥沃な風土が豊かになり、木の一つ一つがその森の役割を果たします。私たちの親祖が山をカミとし、山を守るのはいのちの源を育む生き物たちの父母なる存在であるためにです。木と水はいのちの父母であるからその信仰もまた山から起きるのは山には結びやいのちの原点が存在しているからです。

話を戻せば現代は便利な石油製品が出回り、プラスチックや金属、コンクリートで埋め尽くされましたが本来は林業を通して私たちは里山での暮らしを実現させ木や水を上手に活用して自然の豊かな恩恵をいただいて末永く生きてきた民族であったともいえます。

その智慧の結晶ともいえる代表的な道具がこの樽や桶であり、この道具を通して私たちは先祖の生き方や智慧を伝承してきたともいえます。そしてまさに自然循環の道具のシンボルともいえる桶や樽が身近にあるのは私たち日本人が古来より循環の中で水と木と共生してきた民であるというシンボルでもあります。

聴福庵には、100年以上前の桶がいくつもありますが改めて懐かしい道具に触れることで心が安らぎます。失われていく日本文化の中で、失われずに残っている日本文化の伝承者としての職人の皆様の踏ん張りに心が打たれます。私もその道具や智慧や生き方を学び直し、後世の子孫たちに先祖たちの偉大な真心や智慧を譲れるように真摯に実践を積み重ねていきたいと思います。