本物に極まる

幼苗期の高菜には、昨日ブログで紹介したカブラハバチのほかにもナガメやハムシ、アブラムシなど他にも多種多様な虫たちが群がっています。先日も畑の手入れをしていると、高菜の周りにテントウムシがいることを確認できました。

このテントウムシは越冬をする虫で、春先に大きな高菜の茎の間にそのまま挟まっているものもたくさん見かけます。アブラムシを食べながらそのうち、寒くなり茎が大きくなり挟まって動かなくなったのかもしれません。どちらにしても、どれが益虫でどれが害虫かと選別しなければ畑は虫の楽園です。

しかし今では、ほとんどの畑で農薬を散布しますからこういう光景はあまり見れなくなっています。たとえ無農薬だといっても人間都合で自然のバランスが崩れるようなその他のやり方でやっていたら虫たちはまたいなくなってしまいます。

大量に収穫したり、全部取ろうとさえ思わなければ残った分を収量と思えばそこまで他の生き物たちを押しのけてまでとは思わないものですが人間は自分が全部すべてを取ってしまおうとするところに欲深さがあるように思います。

現在は、漁業でも農業でも自然にあるものを全部搾取しようとします。そうやって取りすぎて絶滅している動植物も多いのですがそれでもまた全部取ります。そして取れなくなったらその場所を捨てて別の場所に移動します。かつては世界は広く、そこで多少搾取しても数年経って、あるいは数十年で戻ってくれば再生していたのでよかったかもしれません。しかし今は世界は狭くなり、人口は増えていますからこのままでは何十年何百年も再生に時間がかかってしまうかもしれません。

さらには養殖をはじめても、大量の抗生物質や薬剤を散布し遺伝子を組み替えて化学配合飼料によって増やしていますがそれもまたその場所が枯れてしまえば他の場所で養殖をしています。全部取りつくすという発想は、人間中心の考え方であり自然はみんなで分け合っているのですから大自然の法則から乖離していきます。

私のやり方は、野生のままに育てながら高菜を見守りながら自分が収穫する分を他の生き物たちと分け合って譲り合っていくように育てます。確かに収量は減りますし、また大きくはなりません。しかしその育ったプロセスは、周囲の生き物たちを活かし、私をも活かし、自分自身も元気にいのちを充実させていくという生き方をした野菜になります。

その野菜を食べると、そこは味に出てきます。

人間の都合よく便利に育てた野菜は、深い味がありません。しかし自然の中で厳しくも暖かい真心をふんだん浴びて育った野菜は、見た目にも元気がありますし愛情をかけられた分、愛情が表に徳として顕れてきています。それは色や艶にも出ていますし、瑞々しく強い肌にも出ていますし、しなやかさや丈夫さ、そして新鮮さの持続でも見て取れます。

味わいというのは、プロセスによって醸成されるものです。

本物の野菜を育てるには、本物を知らなければなりません。そういう意味で農というものは私を磨き、本質を高めるためにとても参考になる最高の先生です。引き続き先生の教えに従って、本物を突き詰めて本物に極まっていきたいと思います。