今ここ、すぐやる

物事をやるときにすぐやる人と先延ばしにする人がいます。少し前の流行語に「いつやるか、今でしょ!」がありましたが、今やる人は常に主体的であり後でという人は受け身になっていることがほとんどです。

この理由は簡単で、期限が迫ればその期限の圧力や惰性の力で物事をなんとかしようとするのは「しなければならない」という外圧を用います。例えば宿題などもそうですが、期限があるからやらなければならないからやっているのでありそれを何度も何度も繰り返していく中でそうやってやることが癖になってしまっているからです。

本来、宿題などではなく自分から進んで学びたいと思っている人は期限がありません。いろいろなことを深めていきながら、その事物に没頭していきます。この没頭するというのが今のことで、今没頭しているのだから後にするという発想はありません。もしも後にしたとしても、それは先延ばしではなく没頭しながら後にするので「今」から離れたわけではありません。

これはどんな仕事もそうですが如何に意義を持たせて面白くやっていくか、面白くないことでも如何に面白く取り組むかが、「創意と工夫」です。創意と工夫をする理由は、好奇心をもって主体的に自分が取り組めるようにするためでそれを維持することでマンネリ化を防止しているのです。

そもそもどんなこともそれをやる理由は何かと思うとき、それは単にやること自体が目的ではなかったはずです。そう考えてみると、ただ真面目に頑張ればいいのではなくもっと楽しく面白く豊かにやる工夫は自分自身ができるはずです。余裕がないからそうなったのではなく、余裕を創造していないからそうなっていくのです。

忙しさというのは、創意工夫で忙しくなくなるものです。それは自分が初心を忘れずに心を籠めていくことを大事にしたり、せっかくだからと一石二鳥のようにこちらで学んだことをあちらで活かし、自分が起きたことを誰かの役に立てたりと発想を転換していくことで忙しさは感謝に換ります。

一見つながっていないように観えますが、この感謝があるかどうかが「やっているのとさせていただいている」との大きな違いになります。させていただいていると思っている人は無駄なことは一つもないことを知っており、その機会に感謝し、天からの声やお客様からの声、周囲からの声を真摯に聴き、それを楽観的に福に転じていきます。いわば素直で謙虚な人です。聴いて福にする人というのは、常に素直に謙虚に物事の声を聴き自分に矢印を向けて反省を欠かさない実践を積んでいます。

思考の癖もまた刷り込みですからそれに気づいてそれを転換するためにもっと創意工夫や余裕を創造していくといいのかもしれません。またあれこれと考えて先延ばしするのではなく、今来ているものだけを丹精を籠めて取り組んでいくことで今に没頭していけるように思います。今、此処すぐに自分を使っていくことの繰り返しが真の余裕を持たせるように思います。引き続き、今できることに人事を盡していきたいと思います。